いつのまにか更年期と戦っていた

これって更年期?と思うことや、勝手に更年期だからと決めつけたりしながら日々過ごす独身会社員のつぶやき

家にいたくない病という持病

昔から家にいたくないタイプなのだ。

と言っても田舎暮らしの私には、中学生までは自分から出かける足がなく、でも父親が外出好きだったのでそれについていきまちの風景を見るのが楽しかった。

高校生で田舎の学校を選ばずあえて遠い学校に通ってたのが、家にいたくないというきっかけになったのかもしれない。

 

大学も家をでて、社会人になって10年あまり田舎の家から通って、それは人生の中でがんばった自分として褒めたい部分。

 

で、今、混沌とした毎日の中で、鬱になりながらも、このままではいけないという気持ちも強くて一歩外に出れば、なんとかしたい気持ちが溢れるばかり。

 

ただ、家にいる間は、外にでる勇気が出ないという鬱に支配されてしまうのです。内心は、外に行きたいと思いながらも。

 

家にいたくない私が家からでれないというのは、結局のところ経済的なことで、

外出するお金がもったいないというところ。

 

地味にパソコンの勉強すればいいのですが、なかなか進まずイヤになる。楽しめない。

 

こんな悩みは、聞いてる方がすれば解決方法なんて山ほどアドバイスあるんだろうけど。

 

まあ、まず昭和な会社にこのままいていいのかというところから始まり、と言っても年齢的に転職は可能かとか、明日の生活費がない私には思い切る元気もない。

 

なんとかしなきゃ、ばかりが渦巻くわけです。

 

会社に縛られなくても生きていけるはずが、今はどうにもできないのがもどかしく、なんかすればいいんだろうけど思いつかず。

 

こんな気持ちの人はきっと多いんだろうなとぼんやり考えながら、思い切って近所のカフェにきて今日も策を練る。

 

本当は、

朝早く起きて、昨日から支度している計画を実行する!っていう毎日を過ごしたい。

 

できそうなことができない。

できることをしない。

 

マイナスに考えなくてもいいのに、またそれが支配してきたりする。

 

また、家に帰らなきゃいけない。

そう思うと、憂鬱なのだ。

信じて疑わない「車の運転は性格が出る」

あおり運転で危険運転致死傷罪適用された事件、

有罪。

こんな事件が起こって裁判が始まってからも、あおり運転する人は減るどころか増加しているという。

 

あおって人を死なせているのに無罪になんてさせると、平気で危険運転する人がさらに増えそうで怖い。平気で人を傷つける人が増えているのが怖い。

 

怖い。

テレビで被告の顔が映し出されると、私の黒歴史を思い出してしまう。

この被告と似た顔の人と付き合ったことがあるから。

しかも、怖い怖い運転だったことも思い出す。

 

性格は顔に出るというのは本当なのかもしれない。

その人はこの被告と似た、一度カチンと来たら止められないタイプだった。

 

気持ちが車の運転に出てしまうのは、一緒に乗ってる身には生きた心地がしない。

荒い運転する人ほど、運転に自信があるから厄介だった。

何をいっても聞いてもらえなかった。

 

もうダメだと思った事件があった。

会社の飲み会があって車で迎えに来てくれることになっていたのに、私が遅れてしまったのが原因で喧嘩になってしまって。

帰るまでの間、息が止まるかと思うくらい荒い運転でスピードを出して、しかもずっと私を詰りながらの激怒の状態での運転。

 

(迎えに来てるのわかってるのに)遅れて来るって何考えてるん?

 

(待たすなんて)意味わからんわ!!

 

次々と出てくる非難の言葉。

謝っても、聞こえてないようだった。

スピードを出して発散しているかのようだった。

 

怖くて、私はこれで死ぬのか?と思ったくらい怖くて、その怖さは怒ってるそれじゃなくて、行き場のない感情が車の運転に出ているもんだから呼吸もできないくらいだった。

 

彼はそんな自分に気づいていない。

気づいてない、というよりも、私がそんな性格に付き合っていかなくてもいい。

 

昔、バリバリのヤンキーで暴走族のリーダーをしていたという曰く付きの経歴の持ち主だったけれど、その要素は大人になってもそのまま生きているもんだなと、申し訳ないけれど私は合わないと思った。

 

彼から逃げるように引っ越したわけです。

 

忘れてたのに、

また、この事件で怖かったことを思い出して

車の助手席はあれから超がつくほど苦手になっている。

 

 

 

車の運転は性格が出る。

これは絶対当たっていると、この事件を見て改めて思った。

発信力の低下が目に見えてわかる

普通に会社員していてもまわりはアラセブンしかいない生活になって3カ月。

変化は、確実にある。

 

もうそんな生活忘れてた、と思うことばかりで、やっぱりつらい。

 

 

手書き文化をどうにか効率よくしたくていろんな説明を受けるけど、パソコンを使わないままの処理をしてきてる人の話なので、内容が手書きの盲点が頻繁にあって全体の話を最後まで聞いていた試しがない。いつも話がそれてしまう。

 

お昼はテレビがあるところでランチタイムとはいえ、アラセブンが話すのを聞いてあげるのがメイン。

テレビ番組、俳優や歌手の話、近所の話。相槌を打つだけで、楽しくはない。

 

それでも、一番つらいのはやはりパソコン作業が少ないこと。全くの手書き文化なので、パソコンしてるとなにしてるんだろうという感覚なので、親切半分で手書きの仕事を探してくれる。

 

パソコンを通じて情報共有する相手もない。同じ部署にいる唯一若手はパソコンを与えてもらってる。ただ、30代でも事務仕事をしてるわけではない。驚くことにパソコン作業があまりにオリジナル過ぎて、テンキーは使えどなぜか小数点を多様化して金額がわからない。そう、カンマがわからないようなのですよ。

 

自動でカンマつくから数字だけ打ってくださいと言っても、1000と打つのが、

1.000.となる。

昔からのやりかた、癖だからと言い訳されても、

いやいや、それ、もうexcel使う上で数字拾ってくれないからね?

 

そして、最近、手持ち無沙汰と思われたのか、別の部署の人が年賀状リストの整理を依頼してきた。

今まであまりきれいに整理してなかった、、らしい。

 

年賀状作成のソフトをインストールして、そこからリストを取り出す。

 

ここまでで突っ込みどころ満載。

 

年賀状出すのかー、こういう会社はお付き合い大切だからね。

そして、筆まめかー、もう今はそれに頼らなくてもできそうだけどな。

 

担当部署に分けて事前確認ねー、といいつつ社長が見るだけなら分けなくてもいいと思うけど。

 

リスト整理はまずあいうえお順に直してから。今までそうしてたとは言われたけど、同じ会社がリストのあちこちにあるのみたらその話は信じられない。

 

念のため会社名確認。今までそうしてたとは言われたけど、わかりやすいとこでいうとメイン銀行の銀行名が全く違ってたし住所違うしで、どこ確認してたのかと疑うしかない。

 

私に依頼してきた人は、ちょっとの作業だからといって渡したわけだから、時間かけることはできない。

慌ててやり終える。

私の訂正は赤色にしておいた。

 

こんな毎日で、私は会社で気持ちの持っていきようがない。淡々とこなすだけとはいえ、私にはこれがやりがいある仕事とは思えない。

 

最近の変化は、

発信力が落ちてきたということ。

 

それは仕事とは関係ない?いえ、やはり環境は大切。

仕事を覚えるために、できるだけ冷静にこなしているけど、大したスキルがない私には、ここで頭打ちさせられた気分なのだ。

ずっと勤めてきた私は、せめてもう少しスキルアップしたい。アラセブン相手は、まだ先の自分でもできることで、今しかできないことはまだまだあるはず!

 

 

なにをうだうだ言ってるんだ?アラフィフのくせに。

あざ笑う人もいるかもしれない。

 

いや、私はもう少し張り切って仕事がしたい。

 

TwitterFacebookも、Instagramも、いろんなブログも、ちょっと遠のいてきてる。どうした、私⁉︎

 

かろうじて、

かろうじて、はてなブログだけ続くのは昭和な会社へのグチブログだから。

 

このまま埋もれるのは、いやだ。

 

と、思いつつ、

明日は会社の公休日でホッとしながら帰宅中。

 

いやいや病と戦う気力がなくなった

これでいいのかと、日々苦悩中。

 

パソコンを使わない仕事。

いや、パソコン化されていないだけなんだけれど、その原因は、高齢者雇用ということ。

 

 

80までは現役と息巻く女性会長を筆頭に、まわりのベテラン勢はみなアラセブン。当たり前のように、自分の仕事として精を出している。

 

仲良くしているけれど、

正直言って、年寄りの相手しに行ってるだけ。

まわりはパソコン使えないわけで、どうIT化していけばいいのか考えても結局そのことで彼らの仕事を取ってしまうわけで、私はあまり楽しくない。

 

高齢者雇用は大きな社会問題だし、効率化を考えるときちんとIT化しなければならない。

 

数年先にはうちの会社も…と考える上層部は、結局今までなにをしてきたのかと不思議で、もう平成も終わろうとするのに昭和オリンピックに引き戻されている勢い。

 

自分で変えていけばいいと言われても、長年手書きのアラセブンにパソコン操作をいまさら教えても、教える時間に毎日が過ぎるのは必死だ。

しかも、私のそばにいるアラセブンだけじゃない。かろうじてパソコン使ってるアラセブンもいるけれど、パソコン使ってるから自分がするといわんばかりか、後継者がいない。そして、会社はパソコンは与えても、データ共有してないしメールアドレスも持たせてない。なんてこと⁇

 

ついに出勤拒否してしまった。

まあ、私がいなくても誰も困らない。

 

今の時代にあった仕事したい。

そういわれたら、今の時代にあった仕事てなに?といわれそうだけど。

せめて、みんながパソコン使える会社で働きたいというのは贅沢な話?

上層部はともかく一戦で働くならパソコン使ってよ、て思うのはダメでしょうか。

 

そう悩みながらも出勤すれば、おじいさんおばあさんと仲良くしてしまうし、急かされない仕事にどっぷり浸かって楽だなと思うし、

 

でも、6時30分に起きてすで遅刻という現実はもうイヤだとしか言えない!

 

情けない話

使ってしまうからいつもはクレジットカードを持ち歩かないようにしている。

現金もないから、常にウィンドーショッピングなわけです。

 

でも、必要に駆られてどうしても使わなきゃ現金では払えない時もあり、そんな時は取り置きをしてもらう。

 

今日は結婚祝いを探しに行き、あまりウロウロするのは邪魔くさいと思いながらも2時間たっぷり歩き回ってしまいました。

会社帰りの寄り道は楽しいけれど、あくまでも自分の好きなものを見るのがいいだけで、人へ贈るものは本当に難しいし次第に苦しくなってくる。

 

自分杓子で選ぶと絶対違うので、余計にわからなくなる。疲れる。

 

もういいやと諦めたら自分が欲しいものを選ぶので、とりあえずがんばって探す。

 

若い頃は人ににプレゼントするのが好きでいつでも誰か喜ぶものを物色していたのに、今はそんな気持ちがない。

好きなものかどうかわからないものを贈っても喜んでくれるのだろうか。少なくとも私は気に入らないものをもらっても全く嬉しくない。

嬉しくないからこそ、人へのものは迷う。

 

さて、やっと、

これでいいかなと思って決めたものを決め、というか、店の人のアドバイスに従っただけだが、

レジに行くと、

ない。

 

現金もだが、

 

カードが、ない。

 

すっかり、カード持ってくるのを忘れていた。

 

たった何千円がない。

 

取り置きしてもらう。

 

 

お店の人は、これだけの現金がないの?て思うだろう。そう思われても仕方ないくらい少額なんだけど、今の時代クレジットカードは少額でも平気で使える時代でよかった。

 

それでも、次の日に取りに行くと、取り置きしているのにこのくらいの金額を現金で払えないの?て思われるだろうなと、ものすごく萎縮しながらカードを使った。

 

ああ、なんかつらい。

 

クレジットカードを使わなきゃ買えないなんで、情けない。

 

情けない。

思いのままに書いてるだけ、おじさんのこと。

仲のいいおじさんには、家族がいる。

家族のことは義務と言っている。

 

義務。

 

義務とは「法律上または道徳上、人や団体がしなくてはならない、また、してはならないこと。」とある。

 

そう、家族を守らなければならない、果たさなくてはならないことで。

15歳までの中学卒業までは義務教育だということと同じように、当たり前のこと。

 

それを私はとやかくいうつもりはない。

一家の主人たるもの、家族をちゃんと守っていかなくてはいけない。

経済的にも精神的にも、きちんと養っていかねければいけない。

それが、お父さんってものだよね。

 

だから、おじさんの家族には平穏にいてほしい。

 

私が言う立場違うやろ!!って思う人がいるかもしれない。いるだろうな。

でも、おじさんは家族に迷惑をかけてまで私と付き合うつもりはなくて、そして私もそう。

 

何かがあったら、おじさんはきっと私のことは忘れて家族に没頭するだろう。

私もいざとなったらおじさんを頼ることはないだろうし、頼りたくても頼れないだろう。

 

私は不倫というものは好きではない。

でも、実はおじさんはずっと不倫をし続けている、今まで結婚してからずっと。

 

私と知り合うずっと前から、不倫し続けているその本心を聞きたくて、何度も質問してみるけれど、なかなか本心を言ってくれない。男ってそうだってのはわかっているけれど、おじさんに対しては他人事のように、どう思っているのか聞きたいのだ。

 

不倫するということは、まず、相手がいるということで。

相手がいるというのは、結婚していても構わないと思わせる魅力を持っている、要はモテる訳で。

 

確かに、おじさんは、優しい。

今までどんな女の子と付き合ってたのか知らないけれど、私にとって、彼の優しさは先ほど言ったような義務的な優しさでしかない。

 

私は会いたいとは言っても来てほしいとは言わないのだけれど、行くから待ってろという。

出張の帰りに迎えに行くだけでいいよというと、そのまま私の家に行くという。

 

いや、別に無理しなくてもいいよと思うけれど来てくれる。

でも、おじさんは私に来てって言わせて、言ったからしてあげている。そんな感じ。

 

励ましてくれるし、元気付けてくれるし、私のネガティブをかき消してくれるパワーがあるから、私は大好きなんだけれど、

おじさんはそれをしてくれているだけ、にしか感じなくて、

そこに愛はない、気がする。

 

テレビCMの「そこに愛はあるのか?」というフレーズがあるけれど、突っ込まれたら口ごもってしまうだろうなってところだ。

 

正直、愛がなくってもいい。

 

おじさんは私のことはもちろん義務だと思ってない。

本当のところ義務でもないし、冷たく義務じゃないからって言われても、そうかと納得するしかない。

 

では、不倫しているのは義務ではなくて感情からなのだろうか。

そこを知りたい。

 

若くないから、別に「遊び」「遊ばれ」な感じでもないようだし。

私ももう若くないから、独り占めしようって思うこともない。

 

何だろうか。

感情じゃない。

それは男性にしかわからないものなのだろうか。

 

これを読んだ方々は、

それ、遊ばれてるよ確実に。

という感想だろう。

 

そうかもしれない。

でも、結婚してるんだからその先がある訳ではないので、それは答えではない。

 

お互いが、傷つかなければそれでいいんだと思う。

家族を大切にするのは最優先。

自分のライフワークは崩さない。

 

考えたらおじさんは、なかなかうまくやってる。

世渡り上手な気がする。

 

都合よく言えばそうなるけれど、そうかもしれない。

私も、ネガティブを排除して世渡りしなきゃという今日の結論になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アラセブンとの日常

今日は一緒に仕事をしているおばさんの、いや、上司の誕生日だった。

上司っても、パートさんだけど。

 

おばさんはパートなので、出勤は遅い。

今日は誕生日だったかな?と私もおぼろげに思っていたけれど、なんのことない誕生日だといいながら出勤してきた。

 

ここんとこ、誕生日の人がいるとお昼休みにコンビニスイーツを食べるとなっていて、そんなことしなくてもいいのにと思いながら、でもみんなそれぞれ小さな食べ物をプレゼントしていたので、用意していない私は食べ損ねていたどら焼きをプレゼントした。

 

こういう風習はおばさんがいるとこで当たり前のようにあるんだろうな。

今まで自分が一番年上であってもそんなことしていないし、結婚してないからそういった年上に接することはなかったから、改めて、気を使うもんだなと痛感中。

 

先週私が買っておいしいと評判だったお菓子を(そのへんも気を使うところだけど)おじさんがおばさん宛に買ってきた。

 

この会社の風習は、一対一のやりとりらしく、お菓子でもみんなに分けてということはなく個人にプレゼントされてそれをまた分けることなく持ち帰る。

 

いつものように、おじさんは個人的にお菓子をプレゼントしていたけれど、今日が誕生日だと後で知って大騒ぎになった。

 

それならもっといいのを買ってきたのに!と冗談を言い出したら、あれよあれよと同年代たちが寄ってきた。

 

誰が年上、誰がまだ若いと話が弾む。

楽しそうに話しているのをみて、こんな大量にアラセブンがいる会社ってあるか?と思いつつ、この歳でも幅きかせて大きな顔して勤めていれるって恵まれてるよなあ…と深く深く感心した。

 

最後の締めは、

まだまだがんばらなきゃね!と。

 

 

ま、高齢化社会だから、こんな風景ありか。と力を抜きながら、今日も私は転職を考えてしまった。