あいにくの曇りだったけど、
やっぱり4月1日といえば、なんだかスタートラインに立った気分になる。
4月1日がスタートというと、学生はまだ春休みだから大人なんだなとも思う。
仕事場にも新しい人が来た。
私は、会社に属していないため、まわりの人たちがあれこれお世話して話しかけているのを見て、ああそうかと社会人としていろんなことを納得していた。
新しい会社に所属するということでは、私自身もよくあることだけど、
今日という日は、またなにか違う。
なにか初々しさがある日に思える。
今日の私はというと、
いろんな
は?はあったけれど、
普通に過ごした日だった。
なにも変わらない毎日。それが平凡で一番平和。
今日、私の住んでいる関西では地震があった。
訓練だったっけ?とみんなが思ったほど、地震を体に感じる間もなく携帯電話からけたたましい緊急連絡のアラームが鳴り響いた。
そういえば、東日本大震災の時はああしてたな、こうしてたなと思いながら、揺れが落ち着くのを待ったけれど、
あの時も、
今日も、会社にいて、
連絡して、大丈夫だった?って言える、身内以外の大切な人がいないなと思った。
会社でなにかあるのは、身元判明もできるので構わないけれど、
何かの時に誰かが私を思いだしてくれることはないのかとも思うと、
なんだか寂しくなった。
こんな時にこそ、思い出す人がいてほしい。
今、一日が終わろうとしている時に、思う。
先日誕生日で、今日4月1日。
結構私の中では何回もリセットする日がやってくるけれど、
リセット、断捨離はしても、
その分のなにかが埋まっていない。
何かが足りないのはわかっている。
リセットしてさみしいばかりで、
そのさみしさにすがりつくようになっていては困る。
4月1日、スタートラインにいる。
明日は、ちょっと親に会いに帰ろう。
新しい何かを感じるかもしれない。