いつのまにか更年期と戦っていた

これって更年期?と思うことや、勝手に更年期だからと決めつけたりしながら日々過ごす独身会社員のつぶやき

何も変わらない日が平凡で平和というしあわせ

神様はたぶん、

私はひとりで生きていけるという設定をしているんだな、

と思うことが多い。

おばさんと言われる年代に入って、結婚にも縁がないと

そう思うしかない。

そう思うから、ひとりなのかもしれない。

 

ついに、

またひとつ年を取った。

最近は、若く見えるとかいう社交辞令すら言ってもらえなくなってきた。

それもそうだな、

体形が崩れてきている。

3年前から5キロも増えたし、増えるくらい動いてないのもわかる。

鏡に映る自分も、お世辞にもかわいいとも美しいとも思えなくなってきた。

それでも、明日の自分と比べればまだ

綺麗なんだろう。

 

いつも会ってくれるメンズは

私がひとつ年を取ることに目を背けているのか、

連絡はない。

それについてのメッセージはない。

そんなもんか。

 

いざという時

いや、誕生日がいざという時ではないけれど、

そばにいてくれたり、やさしい言葉のひとつもかけてくれないのは、

そこまで気にされていないということだということ。

想定内のことだから

こんなもんだと思っている。

それにしても

縁がないというのは、本当に気合いもいるもんだなと思う。

 

誕生日といえば、

何年か前に、怖い思いをした。

久しぶりに誕生日に彼氏がいて、当日お祝いをしてくれるという

約束をしていたけれど、急に会社の飲み会になってしまったことがある。

会社のことは断れなかったので、彼氏に待ってもらうことに。

車で迎えに来てもらっていたけれど、

なかなか席を立つことができず、ずいぶん待たせて

やっと会えた時。

 

私は申し訳ないのと、会えてうれしいのとで、

笑顔満開で車に乗り込んだのに、

彼氏は激怒していた。

 

なぜ抜けれなかったんだと責められた。

 

彼氏の怒りはどんどん車の運転に反映してしまい、

都会の道を猛スピードで駆け抜ける。

笑顔の私も、あっという間に恐怖のどん底に。

 

さらに高速道路を走るので、

もう私はこのまま死んでいくのかという気持ちしかなく、

彼の怒りばかりの言葉に返事もできずに

前を凝視するしかなかった。

 

生きているここちがしないまま家に着く。

 

最悪な誕生日だ、やっと帰れたと思ったけれど、

そうそう、

誕生日だからこのまま送ってくれただけではない。

部屋にあげないと、何を言われるわからない。

 

花束とおいしそうなケーキを

後部座席から自分で下す。

 

もう、かえってほしい。

 

そう思いながら、

せっかくのケーキだから一緒に食べようと言って

機嫌を取る。

なんで機嫌をとらなきゃいけないんだ?と思うしかなかった。

 

それ以降どうやって過ごしたのかは覚えていない。

 

それを境に、彼氏の本性が怖すぎて

はっきりした別れの言葉も言わず、私は逃げるように

引っ越した。

 

別にDVを受けたわけではないけれど、

一歩間違えばDVになりかねない相手だったので、

本当にあのタイミングで引っ越せたのは正解だったと思う。

 

そんな誕生日の思い出は、

一刻も早く消し去りたかった。

 

でも

私が急に消えたもんだから、

毎年誕生日に連絡してくるという

なんとも未練がましいことをしてくれるから、

私はあの恐怖を毎年思いだすはめになる。

今は連絡先を消しているけれど、

たぶん、今年も電話があった。

 

そんないやな思い出がある誕生日を

塗り替えてほしい!と

毎年思っていても、

それを塗り替えてくれる人はいない。

 

せめて、

自分で

静かに誕生日を迎えたい思いだけだ。

 

何も変わらない日々のなかで迎える誕生日は、

いつものように過ごす。

 

こうやって過ごすのは、

ほんとにしあわせなんだなと思う。

誰かといた方がもっとしあわせなんだろうと思うけれど、

贅沢はいわない。

 

気持ちよく祝ってくれるのは、

両親だけだろう。

私が生まれた時は、

桜が咲いているのに雪が降っていた日だった。

ずっと母親はそう私に言ってくれる。

そうか、

私の誕生日は母親にとっても記念すべき日だった。

 

もう私も十分な年齢になってしまったのだから、

両親だってあと一緒に過ごす日はどれくれいなんだろう。

 

親孝行しなきゃな。

本当は、

誕生日は親孝行の日かもしれないな。