私は10代のころ、ずっとB型だと思っていた。
父親がB型で、母親がO型。父親に顔も性格も似てると自他ともに思っていたので、疑いもなくB型だと思っていた。
思っていた、というのは、実は血液型がはっきりわかっていなかったから。
私だけ血液型を知らなかった。
田舎に住んでいたので、どうしても生活の「足」として運転免許を取ることになったので、20歳の成人をきっかけに血液型を調べたら、なんと!
O型だった。
自分の思いこみだったことにショックを受けて、
B型だと思っていたのがO型だった事実が受け入れられなかった。
ホントのところは、別にどっちでもよかったんだろうけど、勘違いしていたことが許せなかったんだろう。
そういう気持ちで、つい、O型の母親に「O型だった!」と泣きながら訴えたのだ。
泣きながら。
O型だったというだけで。
その時の状況を私は今でも覚えてるし、実は母親もあまりにも泣いて訴える私が印象的で覚えているという。
というわけで、私はその後ずっとO型で生きている。
血液型なんて、日本人を4分類するだけのことで、なにがわかるんだといわれるのだけれど、大きく分けての統計があるとしたら、血液型だって十分に分類できる要素ではないか。
頭の片隅にそう思いながら過ごしている。
実は、私はよくA型と間違えられる。B型だと思っていたくらいの、本当はO型の私が、A型と間違えられるのだ。
しかもA型の人に、A型?って聞かれる。
いやいや、私の中にA型の要素はそう多くはない。
なのに、たぶん、私の見た目やイメージがA型に見えるのだろう。
私が今まで感じてきたこととして、A型は同じA型を好む。
A型の人からしか、A型ですか?と聞かれない。
ほかの血液型の人にA型ですか?って聞かれたことがないことを思えば、A型の人は自分の同類に対して好意的でいようとするのかとさえ思う。
残念ながら、私はO型。しかもたぶんB型に近い。
A型の人たちは私をA型という仲間として見てくれるのだろうけど、そのうち違うことに気付くので、みんな去っていく。
A型じゃないとわかると去っていくように思える、少なくとも私に対しては。
A型の人のことはなんとなくわかるので、
傷つかないように接する。そうしていても、ぼろがでる。
O型はO型なので、A型ではないのである。
とにかく、A型は繊細なので、傷つかないように接する。
O型は、わりとそれが邪魔くさい。
でも、見習わなくてはいけない部分だ。
先日。
気の乗らないデートに、とりあえずお礼の手土産を持っていった。
受け取ったおじさんに「A型?」って言われた。
手土産ごときでAだと思われるってどうよ?
「O型です」
やさしいのは、絶対O型だと思うけど。
「あ、そう、俺、A型」
すみません、A型でなくて。
こういうやり取りって、なに、駆け引きなんだろうか。
ごめんなさい。
繊細なA型ではないので、A型の気持ちがどうもわかりません。
傷つけることがあるかもしれません、A型じゃないので。。