仲の良いおじさんとは、とりあえず続いている
一年前と全く感じることは変わってなかった。
おじさんは、彼氏ではない。
おじさんにとっても、私は彼女ではない。
では、
どういうポジションなのか?
わからないまま、ずっといる。
おじさんは、ちゃんと家庭のことは義務としてこなす。
奥さんも、家族も大切に、絶対に揺るがない大切にしている生活。
奥さんとうまくいってないことなんかは、長年一緒にいれば誰でもそうなるということで、それに対して改善をしようとか思ってないようだ。
でも、その矛先が私に来ている時もあって、ちょっとしたことで怒ったりする。
なんか阿呆らしい時もあるけれど。
おじさんと付き合ってきて、ずっと思うのは、
一人で生きなくてもいいってこと。
誰かに守ってもらうということの安心感、私にはない。
共同生活として自分たちが作り上げたものを守って行くという暗黙の了解、それが夫婦なんだなと思うと、私ももう若くもないのに一人で気張って休みなく働いたところで、それがしあわせなのか?と切なくなることがある。
バイト先のアラセブンのおばさんは、離婚経験があって今一人で気楽というけれど、やっぱりそんな歳になっても働いていなければやっていけないっていうことは、反面教師として身につまされる事実だ。
今まで一人でも大丈夫だと思っていた頑なな思いも、経済的な不安が大きいからかちょっとだけ結婚願望を持つようになった。
いや、それでもまだ一人でやっていきたいというのもあるけれど。
どうにか、一人で食べていきたい。
その上で、パートナーとして誰かがいてくれたらいい。
仲の良いおじさんは、私の生き方に何も言わない。
ただ、金銭的な助けはしてもらえないから、もう生活できないなら実家へ帰れとイエローカードを出されている。
イエローカードはおじさんにもらわなくても、もうレッドカードになりそうな状態だけれど。
まだまだ私はしたいことがある。
動けていないだけなんだと自分に言い聞かす。
実際、経済的な面から働くことに精一杯で、誰とも会えないし勉強もできていない。
バイトで得るものはあっても、それが私にとって今どうにかなるようなことではない。
おじさんは出張で全国を飛び回る。
そして、来月は海外旅行に一人で行くという。
私とどこへ行こうという気持ちはないようだ。
おじさんにとって私はただの気分転換なだけのポジションだと思うと、おじさんにも入れ込んでも辛いだけだからしない。
ただ、いなくなったら寂しいのが多分共通している。
私も早く彼氏を見つければ良いのに、おじさんで良いやとか思うからダメなんだ。
早く彼氏を見つけよう。
早く。