いつのまにか更年期と戦っていた

これって更年期?と思うことや、勝手に更年期だからと決めつけたりしながら日々過ごす独身会社員のつぶやき

おじさんから学ぶことはいろいろある

仲のいいおじさんは、奥さんのことは家族として大切にしている。

長い単身赴任だったこともあり、自分の建てた家を守ってくれて、帰ったらちゃんとごはん作ってくれているから、と言う。

 

いい奥さんだ。

ちゃんと家族のことも守ってる。

おじさんには奥さんが合っている。

 

毎回会うたびに、きちんと生きている人だと思う。

私は結局行けず後家で一人だけれど、こういう人が一緒に生きてくれたらたぶん私もいい奥さんがんばってたんだろうな。占いでは私はいい奥さんになると言われていたし。

違う生き方だったらどうだったんだろうと、漠然と、ぼんやり思う。

 

家庭を大切にしているおじさんは、それでも私と会う。

よくある、お父さんは孤独というやつ。

おじさんはおじさんで思うことがあるようなのです。

仲良くしたいんだよ、本当は家族と。

でも、思うようにいかない。

だからといって私に逃げてるわけではない。これはなかなか説明も難しいけれど。どこかでプラスマイナスしたいことを私に求めてる。 

 

おじさんも大変だな。

 

それはよくわかっているのに、最近私は応えてあげれない。

部屋に来てもらっても、部屋は散らかっていたり、なんの用意もしていない。

嬉しいのに手につかない。

 

おじさんのこと以外でたくさん考えることがありすぎて、もう鬱な気分が抜けないからだ。

お金のこと。

仕事のこと。

先を考えるとつらくて最近いろいろ手につかない。

 

なんで汚いの?と怒られる。

来るのがいや?と言われる。

 

おじさんに会うのだけが今唯一の楽しみなのに、うまく説明できない。

 

怒られて、詰られる。

 

言われて仕方ないけど、さらに鬱を被せられるので余計につらい。

 

つらい。

 

でも、なかなか会えないおじさんとは仲良くして鬱な気分から脱出したい!

 

そういえば、おじさんに食べさせてあげたくて、お餅があるからおぜんざい作ってたんだった!

 

おじさんに食べてもらう。

 

 

怒らせたけど、おぜんざいおいしいからちょっと許すと言ってくれた。

 

ほっとする。

 

 

そうか。

やっぱり、胃袋を掴むのは大切なんだな。簡単なようで難しいけど、愛情持った食べ物は喜んでくれる。

 

 

いろんなことに拒否反応しつつある重症鬱な私に少しだけ、光がさした。

今日もおじさんには

ありがとうとしか言えない。

なんていうか人は無駄には生きていないんだなと単純にそう思えた。

一事が万事ですべてに力が抜ける

年始。

いつもの日常。

 

…全員が。

 

こんな会社もあるのか。

社内で年始挨拶したらそれで終わりか。

営業の人も得意先がすべて遠いからか、全く誰も留守にしない。

社長すらいる。

 

で、くるのは下請けの会社が納品に来て挨拶するくらい。

スーツ姿の人が年始の挨拶としてやってこない。

 

全くもって、お正月ムードはない。

 

仕事始めから二、三日くらいは上の人たちが留守にしてるイメージしかなかったけれど。なに?行くまでもない?

 

 

年始挨拶の団体がぞろぞろ歩いているのも時代としてどうかと思うこともあるけど、得意先には礼儀を払うという点でそれをしている会社は私は好きだ。

きちんとわきまえている姿は、素敵だと思う。

 

 

と、力説してしまうのも、

今いる会社の人たちは、挨拶に来た会社であっても一通りの社交辞令すらしない。

はいはい、みたいな、立つこともなし。

 

 

 

私が仕事をきちんとしているからか、

期待してるから!と言われても、

悪いけど

私がこの会社の人たちに期待できない。

 

 

昨日前の会社の人に会ってつい愚痴オンパレードで、会社の悪口をいう自分を反省したけど、

やっぱり長くはいれない。

まだ私宛てにくれる年賀状をみて思ったこと

女友達に縁を切られたのは、過去に3人。

はっきりと、宣言されて終わった。

 

そんな、記憶の奥にしまっていた出来事を年賀状を見て思い出した。

 

3人とも、私には理解しがたいというか、わけがわからない状態で一方的ないい分になにも言えなかったのが本音で、男女が別れる時の多くはこんな感じなのかとぼんやり思う。

 

ひとりは、SNSが世にで始めた頃。

私は誰かに教えてもらって、楽しいから彼女に教えてあげた。彼女は結婚していて、投稿に対しての誰かのコメントを知らない人からの連絡がくるのは怖いし怒られると言って私を散々避難しながら電話が切れた。それきり。

 

次は2年前。大学時代からの仲良しの友達。20歳の時から毎年誕生日には必ず連絡を入れてきた。

仲よかったはずの彼女との別れは思いがけないFacebook

タイムライン上に突然、知り合いかもと表示される機能があるけれど、そこに彼女が出てきたのだった。

 

昔の知り合いと再会のチャンスとしての親切機能なんだろうけど、これはほんと、お節介だと思う。

 

別にSNSで繋がってなくてもいいその彼女に連絡してしまった。

その時は別に何も思わず「Facebookしてるんだね」という感じだった。

でも、その言い方がどうやら琴線に触れたようで、誕生日にお祝いLINEした時に、一方的に金輪際連絡しないでと言われ、それきり。

 

あとは、つい一年前。

美容サロンをしている彼女がとても素敵で、私が会いたくていつも会って貰っていたのだけれど、ある日彼女がドタキャンをしたことに私がしっかりフォローしなかったようで、「そんな人と思わなかった」っていうニュアンスでなじられて、それっきり。

インスタもFacebookもすべてのSNSにブロックされて、そんなに重大なことを犯したのか今でも疑問のまま。

 

どの彼女にも共通する、私の思いは「何かしたっけ?」

どの人も、その当時は一番連絡取って仲良くしていた人だっただけに、私だって気持ちは落ち込んだ。

理由がどうもわからない。

女性同士でも、よくわからないことは多い。

 

結局3人も嫌な気持ちにさせたことは確かで、逆に、3人から嫌な気持ちにさせられたっていう苦い思い出。

 

そんな、思い出さなくてもいい過去を思い出したのが

今年のお正月の年賀状。

 

毎年家族写真とともに独身の私が元気かどうか心配するコメントを書いてくる友達がいて、私が毎年年賀状の返事をしないから、いつも着いたかどうかのメールの連絡もくれていた。

 

当たり障りなくメールの返事をしていたけれど、去年の返事をした時になんとなくこれも琴線に触れた予感がしていた。

 

一年かけてその予感は的中し、今年は年賀状は来ないしメール連絡もない。

年賀状は5、6年前からもう出してないのわかってもらえなかったのか。

 

年賀状が欲しかった訳ではないけれど、今年来なかったことで、

過去に縁が切れた彼女たちを思い出してしまったのでした。

 

それにしても、

その時々にそばにいる人たちが今自分に必要な人だというならば、

過ぎ去っていった彼女たちもそうであって、縁が切れたとはいえそれは必然だったんだったのかと納得。

 

今日みたいな日でもひとりぼっちでいい

三連休最終日。

鬱ってないでどこか行こう。

と思い立ち、外に出る。

 

まちはクリスマス仕様だ。

ぼっちには苦痛な日なのだ。

 

というか、私はせっかくの休日にどこもかしこもいつもより混むのががっかり。

今から行く店もきっと混んでるだろう。

 

電車に乗ると、カップルは見かけない。

女子高生がたくさんいる。学校だったのか。

 

今やひとり行動は寂しくない。

むしろ、その方が気楽だ。

先日イルミネーションに友達を誘って行ったけど、なんだかさっさと帰られて私が思う楽しみ方ができなかった。

イベントもひとりがいいと思ってしまった。

 

 

電車に乗る前、目の前に赤ちゃんを連れた夫婦が歩いていて、旦那さんの格好が大好きだった彼そのものだった。

奥さんと話している声さえ同じに聞こえて空耳にびっくりしつつ、彼も結婚してたらこんな感じなんだろうと遠い目になる。

 

まだ彼のことは心にある。

 

今、私はそれどころではないから、彼が誰かに笑顔を向けているならそれでいい。

 

彼に会いたいという願望もなく、とにかく揺らぎすぎる今の私の環境に落ち着いて向かいあいたい。

 

とにかくは、落ち着くために外に出る。

なにもできなくても外に出る。

 

私と同じ状況の友達は、今日、ぼっちだということが寂しくてSNSで主張しまくっているけど、私との違いはやはり歳のせい。

 

慣れって怖い。

 

軌道修正を考える。鬱っている場合ではない。

中性脂肪が高いのと、心電図引っかかってるのとは、まあ予測していたこと。

 

胃にポリープかい!

 

健康診断の結果は、思っているよりも悪かった。

 

実際太ってきてるのはよくわかる。

急激におばさんになってきた。

 

 

まあおばさんなんだけど、

やっぱり環境は大切で、全体の半分以上を占めるアラセブンたちに同年代扱いされていては、そりゃおばさんを自覚してしまうでしょ。

関西弁でおばはん、といわれるのって、本気で力抜けていきますわってやつ。

 

 

ただ、

私は、このままでいいとは思っていなくて、自分の年齢をわかった上で転職を目論んでいる。まだいけると思うあたり、このアラセブンたちと同じ思考なのだ。

 

まだいけると思う気持ちは確かにわかってあげられる。

ただ、私もまだ「他の場所で」頑張りたいと毎日毎度思っているので、どうにかここを逃れたい。

 

来年の運勢占いも、都合のいいように解釈すると、後押しされていると思える。

頑張らなければ。

 

体の不安はあるので、絶対に貧乏はいやだ。

まだまだ元気でいたいし、不平不満をぶちまけた毎日はいやだ。

 

今日も鬱って一日寝ていたけれど、やっとこんな深夜に元気になって起きた。

昨日は元気だったのに。

 

太ってきて、鬱ってきて、案の定健康診断は悪くなっていく。

これってよくない。

もう誰かに振られたとかそんなことが甘っちょろいとしか思えなくなってきた。

健康で笑顔で過ごすことがいかに大切か。

 

絶対やり直したい。

 

来年の目標。

 

 

会社の愚痴。自分との戦い。我が道を探しきれない現実。ひとりごと。

いつの間にか文句しか言えなくなってる独り言ブログになってしまった。

 

好きな人のことをつらつら書き記していたはずなのに。

 

でも、どうもこうも、

自分の性格も邪魔して「我慢している」のが辛い。

絶対これ、私らしくないんだけど、どうしたらいいのか全くわからなくなってきた。

 

今日も、パソコンを使うことはなかった。

 

1日中、手書きのみ。

 

注文するための伝票、4枚複写。

商品番号まで細かく書く。それを、ざっと50枚。

と言っても、何を注文するのかは、アラセブンのおじいさんがヨレヨレの手書きで書いたノートを見て書き写すわけで、字がわからなかったり商品番号を確かめたりしてたらなかなかの時間がかかる。

 

おじいさんがノートに書くのを、直接伝票に書いたらいいんちゃうの?と思うんだけど、履歴として置いておくそうな。

 

いやいや、4枚の伝票のうち控えあるけどね。

山ほどある注文を細かい伝票の控えでは管理できないとな。

 

筆圧強く書かなきゃ怒られるし、それだけに集中していたら他の部署の人が電話取らないって(他の部署の電話なのに)こそこそ言われるし、ほんと、

どゆこと???って思いながら頑張る。

 

途中、私何してるんだろって思うくらい、置かれている立場に切なくなる。

 

伝票は部署内で確認して社長印をもらってから発注するんだけれど、

アラセブンのおじいさんはパソコン管理を毛嫌いしていて入力は後回しで先に書けというけれど、入力なんてしている暇なく頑張っているのに「遅い!」と言われる始末。

 

いやいや、遅くはありません。自分でいうけど、別に書くのは遅くはありません。

部内のチェックする人(アラセブン世代は確認をしない)が今いないし、社長だっていない。そんな時に急いで書いたところでそこでストップするんですから。

 

50枚以上の手書き伝票を注文先の会社のゴム印押しながらさっさとやりましたよ。

 

請求書がきたから、それのチェックも手書きの伝票の一枚一枚調べてチェック。

照合するのにどれだけ時間かかるか。

それを電卓で計算する手間と確認。

 

私がしている内容を見ずに、遅い!!って言われたから今月中にすればいいことを全部したと思うけどね。

まあ、手書きであっても早い処理は自分のため。

自分のスキルのため。今後のため。なんでもできる自分でいるため。

 

電話でないなとチラチラ他の部署の人が私の机まわりをうろつく。

机は綺麗に使いたいけれど、チェックしに来られたら書類も散らかすしかない。

 

帰る時間まであと何分っていう頃になると、私もパワーアップ。

チャイムが鳴るまでに全部終わらせよう。

集中、集中。

 

落ち着いて落ち着いて時間内に終了。

 

効率悪い仕事が今日も終わった!と思いながらも、意地で頑張ってちゃんと終わったので納得。

 

手書きのメリットは、書きながら別のことを色々考えられる。

これって、事務職したことない人でもできるよね。

これをパソコン管理するのは簡単だけど、パソコン使えないアラセブンばかりだから難しい。教えるだけで時間がかかるから無理かもしれない。

でも、当たり前のように手書き処理を教えられても戸惑うばかりだし、何と言っても今まで頑張ってきた私の最後はここ?って思いたくない!

 

常に、心の中で悶々としているのです。

本気で辞めようと考えているのです。

 

辞めたいと思っているのに、私のお人好しが顔を出したりするからこれも問題。

みんな笑顔で話しかけてくるのを見たら申し訳なく感じるから情が出るまでに転職時期を早めるしかないと思うし、でもあまり早めると持続性がないという判断をされて次が見つかりにくかったら困る。

続かないと思われたって、手書き文化だということを理解してもらえない会社にはたぶん入ることはないだろうしそこもきっと手書き文化だから構わないんだけれど、次が見つからないと生活ができない。

 

今はとにかく生活のためだけに目をつぶっているだけ。

 

のんびりしながら、副業したら?というのも考えたけれど、

昼間の仕事はできたら楽しくしたいし、やりがいがあってほしいわけです。

手書きの仕事をしている限り、副業はそのレベルしかできないんじゃないかという危機感すら感じるのです。

 

何かをしようにも、元気もなくなってまっすぐ家に帰っている。

誰とも会わない。

 

行動しなきゃ、新しい出会いもない。

新しい扉も開かない。

 

なのに社会人になって今までしなかった、家と会社の直行の毎日。

最低な自分。

 

憂鬱すぎる。

正社員だから安心、だなんて全く思わない自分と戦っている。

 

家にいたくない病という持病

昔から家にいたくないタイプなのだ。

と言っても田舎暮らしの私には、中学生までは自分から出かける足がなく、でも父親が外出好きだったのでそれについていきまちの風景を見るのが楽しかった。

高校生で田舎の学校を選ばずあえて遠い学校に通ってたのが、家にいたくないというきっかけになったのかもしれない。

 

大学も家をでて、社会人になって10年あまり田舎の家から通って、それは人生の中でがんばった自分として褒めたい部分。

 

で、今、混沌とした毎日の中で、鬱になりながらも、このままではいけないという気持ちも強くて一歩外に出れば、なんとかしたい気持ちが溢れるばかり。

 

ただ、家にいる間は、外にでる勇気が出ないという鬱に支配されてしまうのです。内心は、外に行きたいと思いながらも。

 

家にいたくない私が家からでれないというのは、結局のところ経済的なことで、

外出するお金がもったいないというところ。

 

地味にパソコンの勉強すればいいのですが、なかなか進まずイヤになる。楽しめない。

 

こんな悩みは、聞いてる方がすれば解決方法なんて山ほどアドバイスあるんだろうけど。

 

まあ、まず昭和な会社にこのままいていいのかというところから始まり、と言っても年齢的に転職は可能かとか、明日の生活費がない私には思い切る元気もない。

 

なんとかしなきゃ、ばかりが渦巻くわけです。

 

会社に縛られなくても生きていけるはずが、今はどうにもできないのがもどかしく、なんかすればいいんだろうけど思いつかず。

 

こんな気持ちの人はきっと多いんだろうなとぼんやり考えながら、思い切って近所のカフェにきて今日も策を練る。

 

本当は、

朝早く起きて、昨日から支度している計画を実行する!っていう毎日を過ごしたい。

 

できそうなことができない。

できることをしない。

 

マイナスに考えなくてもいいのに、またそれが支配してきたりする。

 

また、家に帰らなきゃいけない。

そう思うと、憂鬱なのだ。