いつのまにか更年期と戦っていた

これって更年期?と思うことや、勝手に更年期だからと決めつけたりしながら日々過ごす独身会社員のつぶやき

男のわがままに目くじらをたててはいけないのだ

自分は本命じゃないけど好きだから付合っているっていう場合、

もちろん、相手は結婚はしていません。ただ1番じゃないっていうだけの場合。

 

そんな時、相手にどういう態度を取ってもらいたいですか。

 

 

昔、遠距離していた人にいつのまにか彼女が出来ていたのを知った時、

もともと遠距離だし、まあたまに会うくらいならいいかという私の楽観的な考えで

そのまま付合っていました。 

 

その人は、ちょっと名前が知れている人で、私はその人のファンでした。

ファンぐらいだと、たぶん「やり捨て」とか「ワンナイト」なんだろうけれど、

私はその人の仕事に向き合っていたため、随分長い間大切にされていたと思います。

 

 

なので、フリーなわけがないんですよ。

私以外の人いてもおかしくなくて。

 

でも、彼は、断固として女のことを言おうとはしなかった。

たぶん、私には関係ないということで。

 

私は、彼の仕事ぶりに共感していただけなので、彼女の存在があって支えてもらっているのなら、それはそれで言ってもらっても構わなかったんですよね。

支えてくれる人がいてこそ、がんばれるわけですから。

 

でも、彼は結婚式直前に会っても、言わなかった。

言わないってことは、私とは続けようということか?とそこで初めて

私は絶対、不倫をしようと思わない体質だということと、

なぜ、彼にそこまで隠されなければならないんだろうと不信感を持って、

そこから見方は変わったのですが。

 

結局、その人は一事が万事で、奥さんに逃げられて辛い思いをしていました。

私は、やっぱりなと思いながら彼に抱かれていましたが、

彼も私も長い付き合いであっても、お互いが、結婚する相手としては見ていなかったのは確かでした。

 

しばらくして彼が再婚をした時、さすがに私は嫌気がさしました。

 私には、知ってもらいたくないと思っていたんでしょうか。

今いるのは、その相手がいてこそのあなたなんですよと私はずっと思っていたので、

なんて自分勝手なんだろうと思うばかりでした。

 

今ではちゃんと奥さんと向き合ってるようだし、

私もはっきり、家庭を大切にしてくれと言いました。

それは、女性の立場からして、相手を大切にしてたからこその言葉なんです。

その人に対して結婚したい気持ちは全くなかったけれど、

結婚する相手ができて、私になにを求めるのかとなると、

なにもないでしょう。

 

本当に、既婚者に対しては冷めてるというか、

距離を置く自分に、拍手を送ってしまうほどはっきりしています。

 

男って、言わないんだな彼女のことは。

たぶん、女同士の怖さを知ってるんでしょう、本能的に。

彼女や奥さんの存在を隠すのは、

彼女や奥さんを守るためだとしたら、

これほど屈辱的なことはないと思っています。

 

なので、堂々と彼女の存在を言える人の方がいくらかマシです。

いえ、もちろん、そんな人がいないことが一番ですけど。

 

 

この前まで大好きだった人は、

彼女はいないけれど、私と結婚する気はないと宣言していました。

 

これは、一番辛いやつです。

 

彼女いない。結婚する気はない。

は?です。

 

結婚する人ができるまで、私でいいんじゃないか?と私は思ったのですが、

その人にとっては、

彼女ではないし、結婚する相手でもなかったわけです。

でも、離したくない。

 

どういうこっちゃ。

 

ちゃんと、言ってくれてるわけです。

女の影はないと。それは私も納得していたけれど、

それって、彼女がいるのを隠してる以上に、すごく酷なことじゃないかと。

 

 

彼女とは認めたくない。

セフレなんだよ。

 

そんなことはわかって会っていても、

自分に言い聞かせるかのように、念を押されると、

なんだか悔しくなるのです。

 

とどめは、

お互いのことを知ってなにを見出すの?と。

 

 

前出の人と同じなんですよ、これは。

会ってセックスする以外なにがあるの?と。

いやいや、

どんだけ割り切った女性であっても、長くつき合う以上、

なんなりと相手のことがわかってこそ、

体だけのおつきあいであっても、つき合えるってやつだと思うのですよ。

それは女性ならではの考えかもしれない。

 

どこの誰だかわからないままつき合えるのか?と思ったら、

なんだか腹立たしくなってしまったのです。

 

自分の抱く相手のことを知らなくてもいいというのは、

話すこともない、ただ抱き合うだけでいいじゃないかということで、

女性の私からしたら、

 気持ちが入らない相手とはセックスしたくないし、

セックスしたって面白いわけないでしょ?って思うわけです。

 

あなたが離したくないっていうのは、

私に気持ちが入っているからこそだからね?って。

 

知らなくってもいいって?

何様?

 

出会い系で鼻っぱしくじかれろ!ってことです。

 

それなら、

俺には彼女いるんだよ、それでもいいのなら

と、言ってくれる方がいくらか気持ちも整理できるものかと思います。

 

 

結局、

彼女いるのに隠すというのも、

彼女いないけど、でも離したくないっていうのも、

男のわがままなんだなと感じるだけなんですが、

どっちの男も、私をさっさと捨てることができないダメな奴だったわけです。

保険が欲しかったんでしょう。

 

なんだか愚かな生き物に見えてくるばかり。

だから面白いといえば、そうだけど。

 

 

もう男のわがまま観察がメインになってきた。

目をつぶらなきゃいけないこともあるのにね。

 

エネルギーチャージ完了はいつも満月の夜

本日、牡牛座の満月。

断捨離にいいらしいです。

 

満月生まれの私は、満月の日はなんとなくエネルギーが満ちて気持ちいい。

よく、女の子は満月を見てはいけないといいますが、

私は、使い切ったパワーが充電されるのであえて見る。

満月生まれだからか、満月を眺めるのがとてもホッとするのです。

 

さて、今日はいい日になるかな。

夜道を照らす月あかりが明るくなってくると、満月がいつ頃なんだろうってのはだいたい予測できるため、今日が満月だってことはわかっていたけれど、

なんとなく、

いつになく、

鬱な気分になっておりました。

天気がいい行楽日和の連休なのに、家におりました。

 

今日という日はもう来ないのに。

でも、体を休めるということが潜在意識にあるのなら、それに従うしかない。

 

やっと、起きた時はもう夕方で、

寝た頃と同じような暗さでした。

 

これは完全に鬱な気配。

 

やばいな、私は。

 

そう思いながらも、エネルギーが満タンになったから起き上がり、

晩御飯のことを考えていたら、

 

あまりこころよく思っていないセフレ君から連絡がきて、

 

すごく久しぶりに晩御飯を一緒に食べることなったのです。

 

もう、いい印象はまったくなかっただけに行こうかどうか迷ったけれど、

 

なんとなく、連休なにもしていなかったことに気付いて

 

一歩外に出ることに。

 

元カレと一緒に行ったお店でごはんを食べる。

 

一緒に行ったお店として、元カレとの思い出が塗り替えられてしまった。

 

おいしくて、思いがけなく楽しかった。

 

 

そのあと、

ホテルに行って仲良くしたけれど、

 

なんとなく、思っている以上にホッとできる奴だったので、ちょっとだけ

 

眠れた。

 

散々寝てたのに、なんか安心して寝てる自分に驚く。

 

私、人恋しいのか。。

 

 

 

 

 

でも、どれだけ仲良くて話が弾んで、

いっぱい仲良くしたって、

 

かたくなな私は、「好きだった人がやっぱ一番」だって思ってしまう。

今日の、奴はまったくいやだと思う面がなくて100点だったんだけど、

そんなデートだったけれど、

やっぱり「好きだった人がいい」と思ってしまう。

 

なんだろうな。

 

平気でセフレを作る私だから、あんまりかたくな過ぎることはないんだろうけど、

なんだろうな。

 

 

今日の満月は私になにを導いてくれてるんだろう。

いつものように、満月の夜はエネルギーは満タンになってるから、

明日からの英気を養い終わった状態だけど。

 

 

満月の夜にすること、

財布をカラにしてフリフリするのがいいそうですよ。

今夜は落ち着いてるので、フリフリしてみました。

 

さて、明日からがんばろう。

 

いつだって体は正直

夜遅く。

電車が発車した瞬間、出入り口に立っていた男性が倒れた。

電車の揺れと同時に、頭から落ちた。

 

普通なら、倒れる時は手が出るはずだけれど、その人は直立で横に倒れた。

でも、その人は、

????な感じで、

自分になにが起こったのか不思議な顔で立ち上がる。

 

遠くから見ていた私は、

医療のことはまったく知らないけれど、

 

この人は危ない。

 

と直感した。

 

「座ってください」とそばの人が席を譲る。

でも、その人自身、なぜ倒れたのか本当に不思議だったようで、

座るのを断り、

さっきまでと同じようにイヤフォンをつけてスマホを見る。

 

でも、

また、電車の揺れで、横にドスンと倒れる。

 

絶対このままでは危ない。

 

のに、本人は、まだ気づかない。

平常を装う。

 

次の駅で降りて行ったけれど、

階段降りた頃にはもう動けなくなってるんじゃないかと思ってしまった。

 

 

駅や電車の中で倒れるところはしばしば見かける。

 

隅でうずくまってるなと思ったら、血を吐いていたり、

都会では突然病気に倒れるとこんなに恐怖なのかと思い知らされることも多い。

そして、少なくとも声をかけてくれる人はいるのだから、

そこは甘えて救急車に乗ってほしい。

ちゃんとした助けを呼んでほしい。

 

立ってるはずなのに、倒れてるんだからね。

 

会社で倒れてた人だって見てきてるから、余計に気になってくる。

 

その人は、ちょい悪おやじ風でわりとおしゃれな人だった。

無理をしていたのだろうか。

いや、体を酷使していなくても、人っていつどんなアクシデントに見舞われるか

わからないものだ。

私だって、気をつけないといけない。

 

そう思うと、ひとりは怖い。

家でひとりでいるよりも都会で倒れる方が助かる可能性はあると思ってしまう。

 

それよりも、

倒れないようにしなければ。

元気でいなければ。

 

そう思うと、一日が大切になってきた。

一緒に暮らすパートナーがいてほしいとは思うけれど、

大切に時間を過ごすことにもっと気持ちを持っていきたい。

カレンダーがもう2カ月分しかない

ついに11月になった。

カレンダーをみると2カ月分だけになった。

数字が並んでるだけだけど、

数えるほどしか日がないと思うと、なんだか寂しい。

 

そして、日が経つのは

早い。とても早い。

 

ある人が、

早いと感じるのはなにもしていない証拠、と言っていた。

そうかもしれない。

 

あれこれ模索しながらも、全然何も得ていない自分がまどろっこしいと思うばかりで、まったく前に進んでいない。だから、早く感じる。

 

私にとって、年末はリセットの時期。

なにかを得て、なにかを終わらせる。そんな時期でありたいと思う。

一年のうちで、リセットする時期は何回かあって、

お正月は新しい年としてがんばってスタートできるわけで、

次は、3月の自分の誕生日。

ただ、

3月は私にとって、結構リセットが続く。

 

学生時代は、3月の卒業でまずリセットでき、下旬の自分の誕生日でまたリセット。

今は、誕生日でリセットして、年度末でリセット。

3月にリセットしまくるのは、4月にきちんと新しいスタートでいれるための念押しかもしれない。

 

そして、最近できたリセット日は、6月末。

茅の輪くぐりでリセットする。

 

なので、結構リセットを繰り返すわけですが、

自分で決めたリセットとはいえ、わりと断捨離できてると思うのです。

なかには、断捨離したくない、放したくないものはたくさんあったし、

今でもなぜ捨てたのかと思うものもあるけれど、

それはもう過去の産物。

仕方なかったことなんです。

 

で、リセットは繰り返しているのに、得るものはなかなか手にあふれるほどもない。

まだまだ穴埋めは必要です。

 

なので、もう今年も2カ月かと思うと、

早く自分の思う方向へ進んで行かないと行けないと焦ってしまうのです。

 

ここ何日か、それで落ち込んでいたので、

一日しっかり寝てみました。

寝て忘れ、寝て英気を養う。

 

体力は回復したけれど、

まだまだ一歩が進めているのかわからない。

とりあえず、自力でなんとかしなければならないことばかり。

 

へこんではいるけれど、

状況は悪くない。

状況はまったく悪くない。

 

そう思いながらこの二か月がんばります。

怒ってくる人につきあってられない

人には好ききらいがある。

 

まあ、私はそのへんによく見かける、ごく普通の「おばさん」

 

とは言いたくないので、

お姉さんだと思ってる。

 

でも、平凡でも、

すごく好かれる場合もあれば、

なんか嫌われてると察してしまうこともある。

 

 

十分な社会生活を送っているのに、露骨に態度で示す人。

どんだけストレスをためながら生きてるんだろう、とか

そんなことで怒ってしんどくないのか、とか

顔、怖いよ?とか

 

そんな風にしか見えなくなる。

 

たとえ、仕事できたとしてもその人となりが優先されてくるから、いい感じには見えない。

 

 

私は、たまに

なぜ?と不思議でたまらないくらい、

嫌われる時がある。

その人になにもしていない、関わっていないのに、だ。

 

学校生活の時は、まあ思春期なので、嫌う方もたぶん衝動的なものもあるだろうと思ったけど、

どう考えても全く関わりがない人がすごく私を嫌っていたし、睨んできた。

誰かが私を嫌いで、ただ一緒に面白がって、かわいい盛りなのにわざわざ怖い顔をして睨んでね。

よくありがちな青春ドラマ的な、ね。

 

 

しかし、

それは青春している人だけではないとかんじたわけです。

なんとなく楽しくないから、ストレスのはけ口にされている風な嫌われ方で、

なんとも逃げようがない。

 

ずっと長い間勤めていた会社は、給湯室も掃除してくれるいい環境のビルだった。

新しく入ったビルの清掃の人が、私がゴミ箱まわりを汚してると言ってそれはそれは激昂されて、しかも、こんにちはって給湯室行った瞬間だった。

いや、綺麗に使ってるし、掃除の方々には配慮してましたが?後輩もいることだし!

と言いたいのを抑え、キレながら話すおばさんに謝ったこともある。

 

その人は慣れない仕事がしんどかったのか、八つ当たりにも甚だしくて覚えている。

案の定その人はすぐ辞めてたけど。

 

 

そんなことがあった限りは学習はさますから、ここ何年かはバイト生活してると、いろんなとこに行くし、さらに綺麗にしておくことは心がけています。

 

言われなくてもするように、しています。

 

が。

 

よろしくお願いします。

と挨拶して、さあこれから頑張ろうと思った受付業務の仕事で、初日から目をつけられて一か月経った頃にみんなの前で、私を大嫌い宣言をした女性がいた。

 

いや、もちろん

みんな驚いて、でもその人がそんなこというから脅威を感じたのか、まわりはその人側につくようになってしまい、辞めた。

楽しく仕事できないところには、いても仕方ない。少なくとも、その人が私に怒る限りは雰囲気も硬直するだろうから、本人にも周りにも精神衛生上よろしくない。

一か月やそこらでスムーズにできるなんてのは、相手に期待しすぎと思うし、逆に入りたてで言われたことをさっさとするのは、なにも考えずにしてるみたいで、仕事に対して深掘りせずに真剣に取り組めてないと思うんですよ。

私はしっかり理解したい。

 

なにが気に入らないのか、全くわからなかったけど、この人は敵を作ってしまうタイプだと思ったし、虚勢を張りたいんだと受け止めて、冷静に眺めていたものの、いじめられ感は体に応えていたようで、月一の生理が止まるという、「ついに生理があがってしまった事件」に発展したのです。

 

まあ、辞めてせいせいしたので、いいけれど、改めて体は正直だと思ったもんです。

 

 

で、今、また嫌われ中。

隣の会社のおじさんに。

 

マジで意味がわからない。

なんなだ?

 

なんか喋った記憶もないし。

 

 

あー、こういう人は、

 

挨拶もしないでけしからーん!て

よその会社の人にまで虚勢を張るわけで、

いやいや、あなたの会社の女性こそ知らんぷりですけど?ていいたくなる。

 

エレベーターですれ違う時は必ず、

鬱陶しい、と呟いてくるんですよ。

 

よほど、

気に入らんみたいです。

 

ええ、なんにも関わりはないんですけどね。

ミテクレは、若い頃ヤンチャしていただろうヘビースモーカーなコワモテのおっさんなんですけどね。

 

とにかく、

 

狙われやすいのは確かだ。

平和に見えるから気に入らないのかな。

 

とにかく

刺されないようにしよう。

 

 

わたしに微笑んでくれる人の方が圧倒的に多いんだし、気にしない。

 

気にしない!

 

 

ただ、

正社員を辞めた理由のひとつとして、

私は社会に通用するか確かめたかったこともあるから、

こんな妙齢になってもまだまだ怒ってくる人がいるのは私の修行が足りないな。

 

まだまだ

修行は続くってことですね…

なによりハードな高齢出産での子育てにエールを

私は子供を産んだことはない。

 

産む予定もなく、

もう産めない年齢になってきた。

たぶん、もう産まないと思う。

産めない。

 

独身で結婚すらしていないのに、

子供なんて産めるはずないじゃん!ってところです。

 

それを知った上で、慰めのように

「まだまだいけるよ」という無神経な言葉は一番いらつくし、

それならあなたは今(この年齢で)産めるんですか?と意地悪を言いたくなる。

そんな人に限って「私はもう」と返す訳です。

 

「私はもう」と思っている時点で、

「まだまだいける」じゃなくて「もういけない」んです。

 

なので、

子供を産んでいない人に向かって

無神経に「女」の部分に助け舟を入れなくてもいい。

 

私みたいに、

もう産まないと決意していると、

その重圧も軽くなってきているものですが、

不妊治療や、高齢出産を考えている人は、人一倍いろいろ考えて、

いろいろチャレンジして、人には言えない努力を精一杯しているはずで、

それはそれは、簡単には言えないことばかりだと思っているんです。

子供が欲しいという気持ちが強くなければ、絶対やり遂げれないことで、

さらに、高齢出産をしてからの子育てというのは、

若いうちのそれとは何倍も大変なんですよ。

 

妙齢になってきたら体が重たくなったり

動作がちょっとずつ違ってくるので、キビキビした対応ができない。

子供を産んでいない私でさえ、

認めたくない「老化」を感じることがあるんです。

それを自覚しながら、子育てという年中無休の重労働は、本当に大変で、

会社で働いているたら休めるだろうけれど、眠る時間もままならない毎日。

 

私には、到底できないことなので、

子育てをしている人、

しかも高齢出産をした人は

こころから尊敬するくらいなんです。

 

 

それに、歳の離れた上司と部下みたいな年齢差のママ友とも

仲良くやっていかなきゃいけない。

一緒にいると、年齢の違いが、子供をあやす動作なんかででてきたりする。

それでなくても、年齢差を疎ましく思われるかもしれないというちょっとした不安も

きっとあるでしょう。

子供の年齢で付合うよりも自分の年齢で付合う人という人が、いないわけではないですから。

 

高齢出産が多いとはいえ、

高齢出産をした人の身近には何人もいるような状態ではないはずですから、

同じ状況での人がいないと、不安も募るんじゃないかと思います。

 

 

すべて、私の推測であり、想像だけのことだけど、

少なくとも、子育てはとても大変だし、産んでない私が語ることではない。

なので、

同世代でがんばって高齢出産をした人の日常を

もう少しだけ近くの人が理解してあげれたらと思うばかりです。

 

 

えらそうなこと言ってしまいましたが、

私は子供も産まずふらふらしています。

弟の嫁が出て行ったので、お母さんもどきはしていても、本当のお母さんではないし、十分なことをそばにいてしているわけではない。

それだけでも子育ては大変だなと痛感するし、日頃男親ひとりで育てている弟ですら尊敬していますから。

 

私は家庭や子供を持たない分、人生にはいろんな試練が待っていると

そう思いながら生きています。

子供を持って親になった試練よりはだいぶ楽かもしれないと思いながら

生きています。

 

・・・きっかけがあったら、産みたかったと思いながら。

若い子の見本ってなに

今、日本は災害がいつどこで起こるかわかない。

 

この台風で、改めて思ったこと。

 

「台風接近しているので休みます」と任意でしているバイト先に申告したら、

怒られて、「若い子の見本にならないと!」と言われたけれど。

 

若い子を信用していないからそんな言葉が出てくるのであって、

 

本来、見本にならないといけないのは、

「災害に備える」という気持ちだと思う。

 

それこそ、若い子ほど、

「このくらいの雨だし」とか「自分は大丈夫」とたかをくくって

さほどなんともないと油断をしてしまいがち。

天災というものは、思わぬところからくるものだから、備えあれば憂いなしで

日頃の心がけが必要となる。

もちろん、私も日頃すごく気をつけているかというとそうでもない。

大したことがないと思ってしまう方だ。

でも、

任意でまじめに通っている私が「休みたい」と言っている言葉を、

いかにも1日で辞めてしまうような若い女の子と同じような調子で

「なに言ってるの?」と

「災害なんてこないから」と若い子たちが考えるような感覚で怒られるのは

絶対的にお門違いではないか。

 

もちろん、天気予報でも台風がまだまだ接近していない時に言うのはどうかと思うけれど、天気予報を見ても接近しているし、電車も前日から停まる予告をしているわけで。

そこを配慮できないというのは、どんな優秀なスタッフを引き抜いてきたとしても続かないだろうとさえ思ってしまう。

客商売は、もちろんお客様がすべてであってもスタッフの協力でできあがる店なのだし、一般的な会社であってもこれだけネット社会になっている今、暴風雨のなか這ってまで会社に来いというような時代ではない。

 

出勤が難しいという申告を怒るのは、雇う側としては私は失格だと改めて思った。

大勢ですすめているプロジェクトで、その日でないとダメなことならともかくだ。

 

甘えだというのかもしれないけれど、

今訴えたいのは、天災の場合。

それが、水害になっていくかもしれないし、建物が壊れるかもしれないという台風の場合。

 

雨の中、出て行くのか?というところなのだ。

 

 

そこまでして、自分は必要とされているかというと

絶対そうではないのがわかるだけに、声を大にしていいたいわけです。

自分のことを必要としているのは、他人ではなく、自分。

自分以外だとしても家族までだと思う。

 

こういう時に、自分自身を大切にしないといけないのが

よくわかった。

私は、人に構い過ぎなのかもしれないと思った。

 

自分を大切に。

 

これも、この台風で、暴風雨の中歩いた時に感じたこと。

 

若い子の見本なんて、

今どき、なにが基準なのかなんてわからない。

近くにいる若い子が、見習いたい部分は勝手に見習うだろうし、

別にあれこれ構わなくても習いたかったら聞いてくる。

むしろ、私は今の時代に生きている若い子の

感覚を勉強したいくらいだよ。

 

もちろん、

相手は私をおばさんと思って見ているわけだから、

ちょっとくらいは胸張らないといけませんけどね。