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おひとりさまA子の場合

がんばれ私。

来世の楽しみにとっておきたいこと、その1

2017年。新しい年になった。

いつものように、実家で過ごす。

 

実家で過ごすことは、行事として義務として実家に帰るものなんだと考えをシフトするまでにずいぶん時間がかかった。

年末年始にどこかに行きたいとか、誰かと会いたいとか

思い出に残るようなお正月を楽しみたいと、毎年のように思っていたけれど、

一度も叶うこともなく、叶える勇気もなく

何十年と経つ。

親の顔を見に帰るという儀式プラス面白くないお正月を毎年のように過ごすのは、

ものすごくもったいない、ものすごく人生損をしている気がしながらも

大掃除の手伝いをして、紅白歌合戦を見て、元日の用意をしてから寝る。

大晦日から元日にかけての深夜はテレビも多く、つい夜更かしもする。

1時まで起きていたら、いつものように、

夜尿に起きた親に怒られる。

それを阻止するために「おめでとうございます」と年が明けた挨拶をして

ことなきを得る。

 

大変なんだ。

 

お正月の用意やお片づけをしながらも

紅白歌合戦を見ていると

NHKホールで年越し楽しいだろうなとか、

ゆく年くる年の除夜の鐘がなる映像がうつると、

お参り行きたいなとか、

旅行で出国のニュース見ると、

海外でお正月って最高だろうなとか。

 

全部、自分のこととして考えたら簡単に叶うはずのことが、

私はできなかった。

 

父親のわがままが過ぎるので、

私がいないことで、年末からお正月にかけてどえらいことになりそうだから。

そのくらい、

妙齢になった今でも気を使う。

人が聞くと失笑するようなことだ。

 

現に私がいても、お正月を楽しく過ごした記憶がない。

初日から怒鳴り声が響いて空気はお正月どころかいつも以上に家中に冷えきった緊張感がぴーんと張りつめる。

元日の朝、自分が席に座ったらみんなもさささと席に座らなければならず、そこで怒鳴られる。

あけましておめでとうございます、もシュンとしながら言う。

黙っておせちを食べ、

その後はどこにいくわけでもなく家で過ごす。

朝の儀式がとりあえず終了で、まずはホッとする。

 

昼過ぎから一応宴会らしきものが始まる。

一応近くの親戚が来てにぎやかになるけれど、

だからといって父親は親戚と楽しげにするわけでもなく

食べ終わったら、自分の部屋で寝る。

 

父親がいなくなったらみんなリラックスして飲むので

結構な時間が過ぎるけれど、

ふと起きてきて、宴会の後の締めのおにぎりを食べる。

おにぎりは父親だけが食べるので、

母親が用意。

 

夜は夜で、

きちんと食べる。

みんな宴会で満腹状態だけど、父親につき合って、

晩ご飯を食べる。

だらだらと飲み続けることはない。

 

 

ここまでは我が家のスタンダード。

年を重ねていくと、小さな子供も来ることがあり、

小さな子供が来るとうるさいから落ち着かないので、超機嫌が悪い。

おじいちゃんとすり寄る子供でさえ、うっとうしいが過ぎると怒鳴る。

大人まで伝わる緊張感なので、もちろん子供は萎縮する。

泣き出す。

 

常に機嫌が悪いので、お正月番組でお笑いがしていても、笑えない。

静かに!って笑いを静止されて、

結局テレビを見るのを断念する。

 

そんな状況だというのがわかっていても気を使って帰ってきていた弟家族なのに、

父親が子供のうるささと嫁が気に食わないというのとで今年は来なくていいと

言ったようだ。

弟にとっても、父親にとっても

これでよかった。

 

私も人がいる分、父親の機嫌を損なわないように動いていたので、

少ないとちょっとでも楽になる。

 

自分の好きなように過ごすなんて、私には本当にできない。

母親の愚痴も聞いて育ってるせいもあるだろう、

父親のお守り(おもり)は私と母親だけで十分だと、すでに腹をくくっている。

 

この年末は、一番かわいがっている孫が、まだ小さいのにカウントダウンライブに行ったのも、年末に来ない(自分に会いにこない)なんてどういうつもりだと言って文句を言っていた。まともに聞いてたら腹が立つので、好きにさせてあげたらとフォローする。かわいがっているからなぜかそこは素直に引き下がる。

 

実家から解放されて、自分の家に帰るとこれがまた、なんともいえない気分になる。

 

結局、自分が実家に行くということを選んでいるのだから、好きなことができないのは親だというのは言い訳にすぎない。

そうですとしか言えない。

 

一人か。。

親から解放される安堵感はあっても、自分はひとりなんだと思うと

とても寂しく感じる。

服従しているのがよくわかる。

結局自分の時間を上手く使えてないというのが、浮き彫りになるだけ。

 

今年、

お正月のひと仕事を終えて、自分の家の郵便ポストを見る。

もう年賀状は出していないので、ほとんどこない。

でも、相変わらずくれる人はくれる。

学生時代の友達からの年賀状に、

顔写真がたくさん載っていた。

息子たちが結婚して、赤ちゃんが産まれたという内容だった。

早婚は親に似るものなのか家系なのか、え?と息子さんたちの年齢を考えた。

若い。

若いけど、結婚している。息子ふたりとも。

そして、友達はおばあちゃんになった。

 

そうか、もうそんな歳だな。

友達とは誕生日が1日違いで、人生いろいろな気分になる。

彼女は、私が親につかえた何十年もの間の年末年始は、

結婚して2人のお正月から

家族が増えてにぎやかになって、子供が大きくなってまた2人の時間になって、

今は孫が出来てまたにぎやかになって。

いろんなお正月を過ごしているんだな、そう思った。

 

超リアルな現実を見た。 

でも、

私の今の現実も、まぎれもない現実。これが現実。

友達の生き方は超スタンダードだから、ひとつの目安だというだけ。

そう思うと、私は平凡な生き方をしてないかもしれない。

 

自分の感じるしあわせは、結婚することじゃないということだった。

今年は、もっと自分らしく生きていきたい。

去年はあまりに目まぐるしくつらいこともたくさんあったので、

今年はしっかり見据えて思い切ったこともしていこう。

 

たぶん、今年の年末も実家だろう。

もう、自分の好きな年末年始をというよりは、

あと何回一緒に過ごせるかわからない年末年始だと思いながら過ごすだろう。

面白くないお正月だけれど、

それも振り返ったら思い出になるように、務めれるよう

気持ちをクリアにしながら一年過ごしたい。

 

大晦日から出かけたり、

三が日の初詣とか、

バーゲンの初売りとか、

お正月のお楽しみは来世にて。