もう十分なおばさんなのだ。
だけど、生まれてからずっとお正月は家族と過ごす。
ずっとずっと同じように、お正月が「執り行われてきた」
後期高齢者の両親は、まだ健在で、
典型的な亭主関白な父と、典型的な良妻賢母で一歩下がった性格の母。
年齢を重ねて気が強いところが増えたとはいえ、丸くなったんじゃないかと思う父だけれど、母にはとても厳しい。
母のために父のご機嫌伺いをしているというのが、大人になってからの実家通いになる。
母はそんなことちょっとも気づいていない。自分のことで精一杯なのだ。
父の機嫌に左右されながら生きて、私たち子供が父の機嫌を損なうことをしようものなら「我慢している私」を主張する。
母が我慢しているなら、あまり父に反発しないでおこう。
そんな子供心が常に今でもある。
そのおかげで、
毎年年末年始は実家で両親の機嫌取りなのだ。
お正月。
母は父の機嫌を損なわないように、とお節料理をできるだけ完璧に作ろうとする。
毎年家族が集まってお正月を迎えるけれど、
義務でしかない私は、大概面白くはない。
さいわい、誘ってくれる人なんていないから
実家にいるけれど、
本当は一人でもいいから新しい年はどこか日常とかけ離れたところで過ごしたいのだ。
実家で両親の機嫌取りをしている自分が腹立たしく、
結婚してわざわざ東京から帰省していた弟家族を残して明けて間もない時に
一人自分の家に帰ったこともある。
独身だから両親の面倒を見なければならないって?
は?
もう、なんの楽しみもないお正月は義務である前に苦痛になっていた。
なぜなら、
父はお正月をこうしてああして、と理想があるのか
元日から母に怒鳴って、機嫌が悪くなるからだ。
お正月に父が笑って過ごすことは本当に数えるくらいで、
面白くない新年のスタートしかなかったのだ。
最近は孫が大きくなって、
父は私たちが小さい頃は目くじら立ててたことでも、孫となると
許してしまうくらい穏やかになった。
お正月の機嫌は、以前ほどではなくなった。
主導権は父と植えつけられているのに、もう老齢になったから
別に好きにしてもいいけど?ということが一部分だけ増えて
ちょっと拍子抜けすることもある。
十分なおじいさんだけど、
他のおじいさんよりは元気で頭も回るから、同じにしてほしくないという気の強さはあって、呆れるけれど、まあそんなもんかと納得しならが接する。
お正月は、
姪たちのおかげで少し、楽だった。
それでも
両親にしたら、私たちは自分の子供。
孫にかける言葉とはちょっと違う。
お正月を別のところで過ごしたいという気持ちは、
しばらく封印しておくことにする。
もう何回一緒に過ごせるかわからないし、孫の顔も見せなかったし、お金持ちでもないから、お正月くらいが親孝行できないのかもしれない。
「また帰ってきてな」
と、私にはそっという父は
昔から変わらない父なのである。