独女のつぶやき

無理しないで生きる

気持ちいい。綺麗にするってホントに気持ちいい。

お盆休みが終わった。

一斉出社と思いきや、まだ休んでいる人がいた。

 

思い切って、

ずっと気になっていたポットの中の汚れを落とす日と決めて

決行。

 

お昼からはポット使えないですよ~って宣言して、

ポット洗浄をする。

 

 

2年半くらい前に買ったポットが

思っている以上に汚い。

水あかがボロボロといつもポットから出てくる。

お茶の葉が邪魔してくれるから、水あかは直接コップに入らないけれど、

コーヒーとかお湯をダイレクトに入れるものは、

とてもじゃないけど汚染水(湯)を飲んでる気がして

 

気持ち悪かったんだよ!!!!!!!!!

 

 

誰も、洗おうともしない。

というか、汚いこと気付いてないのか?

毎日不思議だった。

 

 

クエン酸らしき洗浄の粉を入れる。

沸かしてから放置。

半日かけて放置して、夕方に一旦すべて捨ててからまたお湯を沸かす。

 

帰るときに見たポットの中は、

びっくりするくらい、いや新品か?と思うくらい

ぴかぴかのグレーの色になっていた。

 

黒くなっていたあの部分はない。

 

いやいや、あれだけ黒かったのはどこ行った?

ってくらい、きれいになった。

 

こんなにさわやかな気分になったのは、久しぶり。

 

綺麗にするってなんてすがすがしいんだ!!!

 

 

 

念入りに、水あかがでないかを確認して、

本日よりお白湯が飲めるくらい、とてもおいしいお湯が

飲めるようになりました。

 

会社で掃除する人、いますか?

特に水回りをきれいにしている人、いますか?

ポットのお湯がおいしいって

当たり前のようだけど、

当たり前じゃないからね。

 

 

2年半、ずっと掃除せずにいた人の罪は重いな。

お湯さえ飲めない職場だったからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと昔からのルーチンワークを今年もひとつ終わらせる

実家に帰った。

 

そのたびに

両親と歳がさほど違わない、むしろ年下の人が亡くなってる。

そう思うと、元気でいてくれる両親に感謝だ。

 

でも、年々父親のわがままは強くなるため、

父親の面倒だけでもしんどいのにお盆はみんなが集まるものだという

考えの元、家族を集合させる。

小さい子供たちは楽しいけれど、大人たちが大変なばかりで

 

母親は楽ではない。

 

家族が集まるのはいいけれど、老齢の家に訪問するのは

絶対に短時間がいいと思う。

子供たちが、とか

せっかく来たのだから、とか

ではなく

 

家に長く滞在するほど、その家の者が大変なのだということを

気付けない。

 

そして、

この時期に集まるということに、ただ義務を果たしているだけで

むしろ帰ってくる大人(自分の子供含め嫁)のことは毛嫌いしていてても、

帰ってくるものだ主張するところは、

父親が一年の行事としてのルーチンワークにしているだけだ。

 

 

田舎故、

古い時代故、

時間が止まってるというべきか。

 

 

 

私が実家から帰り際、

やっぱり

私がいてくれてよかった。と母親が言うとなんだかかわいそうになる。

  

老齢ゆえ、家族が会いにくるのはいいけれど、

長くいてほしくない。

それが本音。

 

 

 

 

 

お盆に帰る。

田舎にいる限りは、お盆はお正月並みに大変で、

母親のことを考えると、独身だから好きに遊びに行けるかというと

それができない。

 

 

今年も

兄弟家族をお迎えするために

実家へ帰るという毎年の行事になっています。

どこかに嫁いだかのような生活。

独身だからって自由じゃない。

 

 

やっと実家から帰ってきて寝る。

明日からの平常どおりの生活にもどるため疲れをとる。

毎年のことであり、

なんとも言えない過ごし方である。

 

 

 

理解できなくなるという老化現象

 

パソコンに疎い私は、

なぜか、パソコンに強い人がまわりにたくさんいる。

 

でも、

いても、まず教えてはくれない。

 

私が質問することが初歩すぎるのと

その世界で生きてる人はすでに専門分野にいるわけで

私の質問を理解してもらえない。

 

 

だから、たとえ運よく教えてもらえても、

頭がまわらなくて、

まったく理解できないことが多い。

 

20代のパソコンが小さいころから身近にあって

その若さゆえの読解力と記憶力で

「前いいましたけど」

「そんなこともわからないのか」

とやんわり笑顔の向こうに見え隠れするのが、

 

正直、

自分の年齢を感じる。

 

私が思うジェネレーションギャップを感じる。

 

 

前にきちんと説明したよ?っていうのが前提で、

やっとその説明を受けれるスタート地点に立っているのが、

理解してもらえない。

前に説明してもらったのが、わからないからここまでやっときたのに、

もう

過去のことだから理解してるよね?ってなると

 

それ以上が進めない

 

というか、

 

そこからがスタートだとしたら、

まったくスタートが切れない。

 

 

あああ、この、この感覚は、

妙齢にならないと理解してもらえないもので、

 

 

理解できないイコール仕事できない

と決めつけられるのはちょっと悔しいけど、

歳取った人に教える方も気を遣うし邪魔くさいし

なんやねん!何回も!って感じで

 

そっけない。

 

 

 

 

 

たとえ、自分では、

なんとか頑張りたいと思っていても、

まったく前に進まないことを教えてもらえずに

一から自分でとなると

苦手科目を苦しみながらやってる学生みたいだ。

 

 

わからない。

とても苦手意識になってきた。

 

 

教えてほしいってのは、

今の世の中ないのか?

独学は美徳だとは思うけれど、

わからないところを聞くのは、だめなのか?

 

 

 

あらためて、

老化を感じながら、

夜更かしはダメだよなと今夜もがんばっています。

 

睡眠負債がたくさんありすぎ。寝てはいけない気分になるのは重症かも。

睡眠負債という言葉があるようです。

 

style.nikkei.com

 

これで思いだしたのが、

彼と一緒に住んでいたころのこと。

 

そのころは規則正しい生活で、11時にお風呂に入るなんてのは

すごく遅いと思っていました。

よく覚えていないけれど、

11時過ぎからするテレビ番組が始まるまでに寝る準備を済ませてて、

12時までには寝るようにしていた気がします。

 

で、彼は遅く帰ってくるわけです。

終電だったりします。

深夜1時です。

 

やっぱり、おかえりって言いたいから起きてるんだけど、

1時すぎるともう顔が疲れてきて、体もだるくなってきて

彼が帰ってきたらすぐに寝なきゃという

気持ちでいっぱいで。

 

でも彼は、帰ってきたらゆっくりしたいわけね。

 

ひとやすみして、お風呂に入りたいわけ。

テレビ見て落ち着きたいのですよ。

 

そうなると、彼が寝ないのが気になって眠れず、

よくケンカしました。

 

あのころは、平和だったなと遠い目で思いだしました。

 

 

今の私は、

1時なんてのは、まだ宵のうちのような感覚で起きてる。

あれこれしていたら、時間が経つ。

もう妙齢なのに、起きていても意味がない。

老化促進するだけなのに。

 

そして、昼間は仕事がはかどらないくらい

眠気が襲うこともある。

 

効率悪すぎ。

 

早く寝なきゃと思いつつ、

寝ていない。

 

この睡眠負債という言葉で、改めて

ちゃんと寝なきゃと思っています。

 

早く寝ると朝も起きやすいし、昼の仕事もはかどるし、

体が楽だもんね。

いつのまにか、当たり前だったことができてない。

 

老化のこと考えたらちゃんと寝よう。

しっかり寝るタイプだから、7時間は眠りたい。

 

そのためには、時間配分を考えなおさなければいけないかな。

 

まわりには、

時間は有限だから有効にという人がいて、

仕事は徹夜してでもがんばらないとという考えもあって、

本気でやってたら時間なんて関係ないとかいわれたりする。

 

社畜な人々だけではない。

フリーランスの人だとなおさら自分の腕次第だから

その気持ちはわからなくもないし、そのくらいしなければ

食べていけないのもわかる。

 

ただ、私はフリーランスではないし、

仕事に生きる社畜(正社員)でもない。

どんなことも体調を整えなきゃがんばれないタイプだったので、

その言葉だけでうつになりかけたんですよね。

 

まるで眠るのが悪のような感覚にさらされることもあったのです。

 

それは今でも少しひきづっていて、

 

早く寝たら、遊んでるとか、することしてないとか

罪悪感にさいなまれる。

割と重症患者かもしれない。

 

 

おかげで、この2年くらいは急激に老けた。

そして最近は、さらに激しく老化を感じるようになった。

 

 

無理してもいいのは、やはり若い頃だけ。

若くても、無理はしてはいけない。

 

睡眠は大切ですよ。

寝てもいいような効率のいい仕事をするというのが結論ですね。

 

せめて、きもくならないようにしたいと誓った

きもくて金のないおっさんより、

きもくて金のないおばさんはどうすりゃいいんだという

記事が話題になってるけど。

 

わかるなぁ。

 

きもくなくても、

お金があったとしても、

おばさんって、おじさん以上に

なんだか窮地に追い込まれる感じ。

 

人のこといえない。

ホント、

紙一重な感じで、こわい。

 

 

 

今日は、青いサマーワンピースを着て出かけた。

ノースリーブで、ロングフレアのイマドキのワンピース。

まだ、似合っていると思う。

でも、もしかしたら、

後ろ指さされていたかもしれない。

 

青い服を着て出かける勇気をたたえてくれ。

 

 

そして、

完全おばさんになりかけてたので、

更年期障害で苦しかった昨日、思い切って

美容院に行った。

自分が一番似合うだろう長さにしてもらった。

 

ちょっと若返ったと思う。

 

 

きもくて金のないおばさん。

せめて、

きもくないようにしたい。

 

あれだけ得意だったたことが今は

小さい頃、携帯電話なんかない頃は、

友達の家の電話番号はすぐ暗記できていた。

 

それに、クラスの子の誕生日もいつのまにか知って覚えていた。

たぶん、得意だったんだと思う。

小さい頃の記憶というのはすばらしく、今では会うこともない友達の誕生日もまだ覚えている。

 

同級生は月日だけだから、まあ簡単だし、自分の誕生日近くだと覚えやすい。

 

でも、どんどん

必要でないことは頭の引き出しが開くことがないので、忘れていくこともある。

 

一時期、自分は何歳なんだろうとか、

毎日確認する日付も、今年は西暦何年で和暦は何年?とか

今年の干支は何だろうとか。

 

親や兄弟の誕生日はわかるけど、年齢はいちいち計算しなければ覚えていない。

 

大人になってからの記憶は、覚えようという自覚が昔より浅いのか、兄弟の子供の誕生日や、好きな人の誕生日も忘れやすい。

全く忘れてしまうんじゃなくて、日が定かでない。

 

覚えてる方じゃない?と言われても、

得意としてたわけだから、かなり力はなくなった。

 

スマホ時代になると、自分の電話番号すら覚えようとしないので、しばらくはスマホで確認していた。

今は自分の電話番号は記入することが増えたため記憶している。しかも語呂合わせで覚えてるので、頭で数字を読む感じ。

 

 

昔はよかったな、

とか振り返るのは老化のはじまりというけど、

最近なにかにつけて記憶力が低下している気がする。

 

心配性でないのに、

家の戸締りをしたか記憶になくて確認し直すし、

実際ガスをつけてたことを忘れて寝てたこともある。あの時は、たぶん私を見守るものがパチンという音を出して知らせてくれた?ので、はっと思い出して無事だったけど。

 

集中力が切れてるといえば、そうかもしれない。

でも!

 

まだまだ働かなきゃならないのに、今から集中力切らしていたら使い物にならないし、これは否が応でも老化を感じる。

 

上司が、いつも私に

飲み会欠席ばかりだし!と愚痴るけど実は私は参加しているのに、最初の印象が悪かったばかりにそれ以降参加していることを忘れられてるなんてのは、責めれない。

こうなっていくのか、とやんわり見守るしかない。

 

ああ、

いやだいやだ。

若いつもりでいる、なんて思わないけど、歳はとりたくないな。

なんかこう、楽しみがあれば、

脳も活性化するんだろうけど。

自分に似ている子供ってどんなんだろうと思う

妙齢になると、諦めなければならないことも

ちょっとずつでてくる。

それは、人によって違うとは思うけれど、

私の場合は、

 

 

子供を産むこと。

 

 

これは、

 

やはり、

 

もう諦めた。

 

 

絶賛出産適齢期は10代から30代と長かったのに、

産む気がなかったし、

結婚を考えるほど好きだった人はバツイチで子供がいたので、

私が彼の子供を産まなくてもいいかという気持ちだったため、

産みたい!という瞬間がなかった。

 

でも、

 

女性という本能で、

妊娠したいと思うことは多々あった。

子供がほしいというのと、妊娠したいというのは、どうやら

まったく違う感覚で、

男性が

この女性の中に出したいというのと、受精して子供を産んでほしいというのとの

違いじゃないかと思う。

すごく紙一重な感じだけれど、

とにかく

本能でエッチがしたくて仕方ないイコール妊娠希望とう時期があった。

 

その時に、結婚してもいいなという彼がいたら

そのまま子供が生まれていたかもしれない。

結婚するつもりがないと、妊娠希望であっても

本当にそれを実行することはなかった。

 

 

結婚するつもりがない人と付き合ってしまったから

今も私はひとりなんだろうけれど、

もう、閉経が忍び寄ってるとそれでも子供を産みたいという情熱はない。

 

情熱はないのに、

なぜか、最近子供について考える。

身内の子供がもう大きくなってきたのもそうだけれど、

いろんなところでみる赤ちゃんなど見てたら、

 

自分が産む子供はどんな風だろう。

 

どんな子供になるんだろう。

 

 

永遠に叶わないことだから余計考える。

 

 

しかも、

大好きだった人との子供だったら、

こんな顔かなーとか、

乙女の世界に突っ走る。

 

 

昔は、これっぽちも考えたことなかったことなのに、

今はとても興味深い。

遺伝子ってすごいなって思う。

それを確かめることができなかったのは、ちょっと残念だったりするし、

自分に似ている子供って、神秘だろうなとか、

いまさらながら生命ってすごいとか、関心が大きくなる。

 

なぜだろう。

 

もうそろそろ女を卒業しなければならない時期にかかってるから

最後のあがきみたいな感じで、

これも本能がなせる業か?

 

 

 

もう

子供を産みたいという気持ちはないくせに、

好きな人との子供だったら

産んでみたいなと心の底で思うのは、

それだけ、その人のことを好きなのかもしれない。

 

ということは、

子供を産める長い時期に

子供を産みたいと思える人に会ってなかっただけ。

私が産む!と思う人に会ってなかっただけ。

 

このことは、今世でできなかったこととして

来世に持ち越そう。

 

できれば、

今好きな人と、また出会って

私が産む!って思いたい。

 

 

すごいな。

 

産む産まない関わらず、

本能は

産みたいのだ。