いつのまにか更年期と戦っていた

これって更年期?と思うことや、勝手に更年期だからと決めつけたりしながら日々過ごす独身会社員のつぶやき

30代はきれいだよ?

匿名ダイアリーの記事を見た。

 

30代女性が18歳男性を抱くというやつ。

30代で若いメンズに気後れしながらセックスしたという。

なんかわかんないけど、わたし的には30代で気後れするのか?と思った。

どうして、そんな後ろめたいことになるんだと思った。

 

世間的には30代の女性って一番きれいだと思うし、

セックスだってちょっとうまくなってると思うから、

抱き甲斐ある世代で、体なんてのはまだまだ崩れてはいないはず。

崩れてるなら、きっと暴飲暴食を続けてきた人なんだろう。

18が応じるということは、ある程度綺麗なはずなのだ。

 

 

 

あまりに歳が離れているといざセックスするとなると、

上手いとか気持ちいいとは思わない、ただセックスをしただけという感じになる

らしい。

 

私はそれは思わないけれど、

多くの女性は、自分が年上という負い目からか、そう思う人が多いようだ。

実際、後ろめたさが勝ってしまうようだ。

 

よかったのか、どうかがはっきりわからない。

でも、若い子に抱かれているというある程度の緊張感から、夢中になれずにわりと冷静でいれるとしたら、テクニックの良し悪しは確認しているはず。

 

よく、若いと経験数がないから下手とかいうけれど、

それ以上にその人の感性というか、セックスに対しての取り組み方が大切で

下手なのは、正直、年齢ではないと思う。

 

妙齢になってから、20そこそこのメンズに

相手してもらったことがあるけれど、

上手いと思った人もいれば、やっぱりなって感じでがっかりした人もいた。

上手いと思った人は、それだけでモテるんだろうなと思った。

 

でも、ある程度経験している30代以上のメンズでも

下手な人は下手なのだ。

自己中は性格からくるものだろう、セックスも独りよがりに終わる。

しかも、案外モテる人は女性に不自由しないから、独りよがりな人が多い。

若い云々よりも、一番厄介なのは、

抱いてやったんだという勘違い野郎なのだ。

 

 

誰だってどうせなら、上手い人に抱かれたい。

好きな人が上手かったら最高だと思う。

 

恋は盲目で、好きだから上手いと思いがちだけど、

過去になってしまったら、さほどそうでもなかったと思う人ばかり。

残念ながら、めくるめく快感に酔った思い出は、なかなかない。

それゆえ、別れてしまうと何も思いだすことがない。

 

逆に、エッチがよかったと思うと割と女性はずっと覚えている。

しかも、

密かに今のパートナーと比較していたりする。

そして残念なことにセックス中に思いだす。

あの時はこうだった、とか。

 

もちろん、あの時こうだったから気持ちいいところがわかって、

ちゃんと今の人に、こうしてほしいと申告できるならいいけれど、

大概の女性は、

黙ったまま

目をつぶったまま、

 

ああああ、あの時こうだったな。。。と思ってたりする。

でも、女性は気を使って、よかったと言ってくれるわけで。

 

 

要は、女性は安売りしたり、自分の年齢でがっかりしなくてもいいんです。

魅力的であれば、妙齢でも抱いてくれる。

だから、

軽々しく下手な男と寝なくてもいい。

 

魅力的な部分をさらに魅力的にしてくれる

男性が絶対いるはずで、そんな人に抱いてもらうこと。

 

 

30代が18歳を抱く。

記事としては釣りかもしれないけれど、

まあこんな話は無きにしも非ず。

 

30代をピンポイントにして考えてみたら、

30代は一番素敵なんだよっていうのを言いたかった。

相手が18だったから、いまいち楽しい話ではないんだなって。

 

 

・・・あと、私の偏見で言うと、

歳が離れている女性を相手にできるという男性は

わりと器がでかい人だったりする。

広く浅く、柔軟な考えができる人だったりする。

将来が楽しみなタイプだと思う。

 

 

理解できる人にだけ理解いただけたらと思うことでした。

すみません。

誰かが私を見守ってくれてるありがたさよ

歳が離れている人と気があう。

上にも、下にも。

とにかく歳が離れているほど、なぜか話しやすいから仲良くなれる。

 

だいぶん年上だし、若いメンズに遊ばれて、というストーリーがあってもおかしくない。

いや、本当は遊ばれてるのかもしれないけど私には実感がない。

 

人を介して仲良くなった人や、SNS経由だったりするけれど、

どのメンズも長く知り合いで続いていて、仲もいい。

現実的には彼女というポジションにはまずならなくて、身体目的にされるのもこちらとしては申し訳ないばかりで断るけど、

続くのだ。

 

不思議な上、

とてもありがたい。

 

たとえ、身体が目的としたとしても、十分なおばさんですから、

もう今となるとありがたいばかりだし、自分磨きしなきゃと思えるし、単純にうれしい。

 

ありがとう!

 

特に今月は、年下君たちが連絡してきてくれた。

電話してきたり、

はたまたわざわざ会いにきたり、

休みで帰ってきたからとか、

示し合わせたかのように連絡の嵐だった。

 

私自身になにがあったわけでもない。

 

 

元カレや

音信不通だった大切な好きな人まで、

何ヶ月かぶりに連絡くれたから、

もしかしてそういう星回りにいるのかもしれない。

 

 ひとりを支えてくれてるのは、こういったなにげないことなのかな。

 

今しかできないことの積み重ね。

会える時には会っておくことも、積み重ねのひとつ。

 

今日も私は仕事だけど、

がんばろう。

 

おばさんのイタイ話です

好きな人がいる。

 

と、いうか、この歳で片思い。

結婚もしてないのに、片思い。

 

婚活できない理由はこれかな。

 

 

結局、私は夢みる夢子さん。

片思いの人がいつか振り向いてくれるんじゃないかと、わずかな希望を持って、その気持ちだけで生きる。

 

 

バカだなー。とか、

なにしてるのいつまでも。とか、

聞こえてきそう。

 

 

結婚情報誌のゼクシィのCMで、

結婚しなくてもしあわせになれる時代に私はあなたと結婚したいのです

というフレーズがとてもすきで、

 

私はずっと結婚しなくてもしあわせだったわけで、

これからもそうだと思うのに、

なぜか、

 

私はそばにいて彼の生き方を尊重できるんじゃないかと思うと、

彼と結婚したいと思ってしまう。

うまくお互いが生きて行けるんじゃないかとなんとなくの予感が、ずっとある。

 

 

もしかしたら、彼は違う人を選ぶかもしれない。私はそれはそれで構わない。

 

どこか彼と私にしかわからない通じない気持ちがあって、それは揺るぎないものな気がするから。

 

妙齢の片思いはイタイ。

 

そして、おばさんの恋愛話なんて、ウザい!

 

よね。

 

年下の海外赴任に

三年越しだからなあ。笑

とにかく時間の使い方が下手になってきた気がする

妙齢にもなってくると、

元気な20代30代の頃のようにはいかない。

 

体を労わってあげる。ということがメインになる。

 

疲れたという体のサインを感じるからだ。

 

無理をしないようにしようと心がけるようにしていたら、

なぜか、時間の使い方がどんどん下手になってきたことに気付く。

 

まあいいか、と思うようになると、

その空いた時間を有意義に使うかというと

ぼっとしたり、寝たり、とにかく

頭を使わないことが優先されるので

あっという間に時間が経って

 

あれもできてない

これもできていない

という結果に。

 

ぼっとしていると、いつの間にか

寝る時間になってるから

そこからあれこれしていると

深夜になって、

結局寝不足のまま朝を迎える。

 

 

 

若い頃って、もっと早く寝てたのは

動作がもっと早かったからか?と考えてしまうくらい

時間が過ぎるのが早くなった。

 

 

帰宅してからパソコンに向かおうにも

どうしても深夜になる。

 

夕食が遅いのかというとそうでもない。

 

体を休める時間を取るからだろう。

 

帰宅してしなくてはいけないことをさっさとして、

寝る準備までしてから

パソコンに向かえばいいんだろうけれど、

寝る状態にしてしまうと

寝てしまう。

 

 

ああ

今日も寝てしまったという日が多くて、

何も進まない。

どんどん老化していくのに、

一年後も同じかと思うと悩ましい。

 

元気がほしい。

そう思うことがもう老化現象だから、

やりたいことがスムーズにいくように

なんとか

時間の使い方くらいは

軌道修正しなくては。

 

まあ、妙齢の女性は

だいたい

体を労わる年齢に差し掛かってくるわけで

無理しなくてもいいというのが一番ベストなんだけど。

 

 

なんせ、

独身。

まだまだがんばらなくてはという試練。

 

どうにか

がんばりたい。

気持ちいい。綺麗にするってホントに気持ちいい。

お盆休みが終わった。

一斉出社と思いきや、まだ休んでいる人がいた。

 

思い切って、

ずっと気になっていたポットの中の汚れを落とす日と決めて

決行。

 

お昼からはポット使えないですよ~って宣言して、

ポット洗浄をする。

 

 

2年半くらい前に買ったポットが

思っている以上に汚い。

水あかがボロボロといつもポットから出てくる。

お茶の葉が邪魔してくれるから、水あかは直接コップに入らないけれど、

コーヒーとかお湯をダイレクトに入れるものは、

とてもじゃないけど汚染水(湯)を飲んでる気がして

 

気持ち悪かったんだよ!!!!!!!!!

 

 

誰も、洗おうともしない。

というか、汚いこと気付いてないのか?

毎日不思議だった。

 

 

クエン酸らしき洗浄の粉を入れる。

沸かしてから放置。

半日かけて放置して、夕方に一旦すべて捨ててからまたお湯を沸かす。

 

帰るときに見たポットの中は、

びっくりするくらい、いや新品か?と思うくらい

ぴかぴかのグレーの色になっていた。

 

黒くなっていたあの部分はない。

 

いやいや、あれだけ黒かったのはどこ行った?

ってくらい、きれいになった。

 

こんなにさわやかな気分になったのは、久しぶり。

 

綺麗にするってなんてすがすがしいんだ!!!

 

 

 

念入りに、水あかがでないかを確認して、

本日よりお白湯が飲めるくらい、とてもおいしいお湯が

飲めるようになりました。

 

会社で掃除する人、いますか?

特に水回りをきれいにしている人、いますか?

ポットのお湯がおいしいって

当たり前のようだけど、

当たり前じゃないからね。

 

 

2年半、ずっと掃除せずにいた人の罪は重いな。

お湯さえ飲めない職場だったからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと昔からのルーチンワークを今年もひとつ終わらせる

実家に帰った。

 

そのたびに

両親と歳がさほど違わない、むしろ年下の人が亡くなってる。

そう思うと、元気でいてくれる両親に感謝だ。

 

でも、年々父親のわがままは強くなるため、

父親の面倒だけでもしんどいのにお盆はみんなが集まるものだという

考えの元、家族を集合させる。

小さい子供たちは楽しいけれど、大人たちが大変なばかりで

 

母親は楽ではない。

 

家族が集まるのはいいけれど、老齢の家に訪問するのは

絶対に短時間がいいと思う。

子供たちが、とか

せっかく来たのだから、とか

ではなく

 

家に長く滞在するほど、その家の者が大変なのだということを

気付けない。

 

そして、

この時期に集まるということに、ただ義務を果たしているだけで

むしろ帰ってくる大人(自分の子供含め嫁)のことは毛嫌いしていてても、

帰ってくるものだ主張するところは、

父親が一年の行事としてのルーチンワークにしているだけだ。

 

 

田舎故、

古い時代故、

時間が止まってるというべきか。

 

 

 

私が実家から帰り際、

やっぱり

私がいてくれてよかった。と母親が言うとなんだかかわいそうになる。

  

老齢ゆえ、家族が会いにくるのはいいけれど、

長くいてほしくない。

それが本音。

 

 

 

 

 

お盆に帰る。

田舎にいる限りは、お盆はお正月並みに大変で、

母親のことを考えると、独身だから好きに遊びに行けるかというと

それができない。

 

 

今年も

兄弟家族をお迎えするために

実家へ帰るという毎年の行事になっています。

どこかに嫁いだかのような生活。

独身だからって自由じゃない。

 

 

やっと実家から帰ってきて寝る。

明日からの平常どおりの生活にもどるため疲れをとる。

毎年のことであり、

なんとも言えない過ごし方である。

 

 

 

理解できなくなるという老化現象

 

パソコンに疎い私は、

なぜか、パソコンに強い人がまわりにたくさんいる。

 

でも、

いても、まず教えてはくれない。

 

私が質問することが初歩すぎるのと

その世界で生きてる人はすでに専門分野にいるわけで

私の質問を理解してもらえない。

 

 

だから、たとえ運よく教えてもらえても、

頭がまわらなくて、

まったく理解できないことが多い。

 

20代のパソコンが小さいころから身近にあって

その若さゆえの読解力と記憶力で

「前いいましたけど」

「そんなこともわからないのか」

とやんわり笑顔の向こうに見え隠れするのが、

 

正直、

自分の年齢を感じる。

 

私が思うジェネレーションギャップを感じる。

 

 

前にきちんと説明したよ?っていうのが前提で、

やっとその説明を受けれるスタート地点に立っているのが、

理解してもらえない。

前に説明してもらったのが、わからないからここまでやっときたのに、

もう

過去のことだから理解してるよね?ってなると

 

それ以上が進めない

 

というか、

 

そこからがスタートだとしたら、

まったくスタートが切れない。

 

 

あああ、この、この感覚は、

妙齢にならないと理解してもらえないもので、

 

 

理解できないイコール仕事できない

と決めつけられるのはちょっと悔しいけど、

歳取った人に教える方も気を遣うし邪魔くさいし

なんやねん!何回も!って感じで

 

そっけない。

 

 

 

 

 

たとえ、自分では、

なんとか頑張りたいと思っていても、

まったく前に進まないことを教えてもらえずに

一から自分でとなると

苦手科目を苦しみながらやってる学生みたいだ。

 

 

わからない。

とても苦手意識になってきた。

 

 

教えてほしいってのは、

今の世の中ないのか?

独学は美徳だとは思うけれど、

わからないところを聞くのは、だめなのか?

 

 

 

あらためて、

老化を感じながら、

夜更かしはダメだよなと今夜もがんばっています。