SNSとは便利なものだとつくづく思う。
関東に住んでいるという人とSNSで知り合い、先日観光がてらにこちらにくるというので会った。
観光がてらといいつつも、男のことだから会いにきたんだろうと思っていたら、
本当に観光だった。
私がタイプじゃなかったとかじゃなく、本気の観光で、たまたま私と出会ったから観光案内してほしかったようだ。
観光案内といっても、私には特に案内できることがない。
ガイドブックの方がはるかに便利だし、スマフォやタブレットで探せるはず。
なのに、
何も知らないんだね。
といわれ、
遠くから来た僕が君を案内していますよ、的な雰囲気が流れた。
会うのわかってんだから下調べぐらいしたら?っていうよりも、観光地すら知らないんだね地元なのに。って言う感じ。
結局、それから連絡はない。
なにを期待していたわけでもないけれど、
私がそんな本気観光を考えてなかったので、驚いた。
また、
先月出入りしていたコワーキングスペースを辞めた。
辞めたけれど、今日行ってみた。
辞めたけれど、月一の勉強として参加はすることになっているから。
後ろめたいことなんてない。
そこにいた人は知ってるのだろうか。。
でも、知ってる人は知っていたんだろう。
そこに出入りしていたから仲良くしていたんですよ。といわんばかりに、
辞めたとたんに態度が変わったり、FBから外したりされた。
コワーキングスペースって、会社じゃないんです。
辞めたからって、そんなあからさまにシャットアウトするのかな。
どちらの件も、
自分に合わないけど、そのときだけ合わしてましたよ笑顔で。
と、SNSを外されたとわかったときに、頭の奥の方で聞こえた気がした。
必要なくなったら、クリックひとつで関係のない人になれるんだから、すごいです。
でも私は
自分のことで精一杯なのかなと思ってしまった。
「自分が求めている人」しかいらないというのは、わかるけれど、
そんなに相手にとって、「自分が求めている人」じゃなかったのかと力が抜けた。
「自分が求めている人」ってどんな人なんでしょう。
ふと、考えた結果、
やっぱり自分にとってなんの有益ももたらさない人のことをいうんですね。
ネガティブモードに引き寄せる人は「自分が求めている人」ではないと思うけれど、
「なにも得る物がない人」として判断されたっていうのは、本当に
やるせなく、
自分の無力を痛感せざるを得ません。
わかりやすい嫌われ方を体験したことと、
どん欲な人はこうなのか、と勝ち気に生き抜くためにはそうしなければならないのかと
勉強になりました。
悔しいのもあるけれど、
自分がどうみられているのかというのがわかった気がします。
そうとわかっていても仲良くしてくれる人たちの寛大さに
感謝な気分になっています。
いよいよ、私も
のんびりしていてはいけないです。
連絡をたってちょっとくらいしまったなと思ってもらえるように、
なにか胸をはれることをしていかなきゃと思います。
応援してくれる人は必ずいることも実感しているから、
いい人を目標にがんばろう。
そうしよう。