今週のお題「お父さん」
父親はとても亭主関白で母を手下のように扱い、外では仕事ができるからか殿様気質で出世はしたけれど結局部下は横を向いているという、なんとも寂しい質の人だ。
まあ、昭和の人間なのでそれはそれで仕方ないか。
私たち子供は、母親が怒られないようにと、父親の顔色をみながら大きくなった。
時代的にはそんな家庭はたくさんあったと思う。お父さんは寡黙で怖いという時代。
両親が喧嘩していたら、父親を誘って出かけてみたりと、
娘の私はそれはそれは気を使った。
なので外でも気配りはものすごくできる子供で、とりあえず愛想もよかった。
でも、私が年頃になった頃からは、婚期のことも近所の話題になる。
父親があまりに厳しいのは近所どころか、父親の名前を知っている人は口を揃えて「あああのお父さんだから」って言われた。
確かに、どの男性にも「この人はダメだな」って自分で決めつけてたし、会ってもらう自信もなかった。
適齢期をすぎると、そんな近所の眼が嫌になり家を出たくらい。
とはいえ、
父は晩年苦労をしている。
その性格ゆえの、人からの裏切りを何回も経験している。
自分の仕事についてきてきてたと思っていた人が、父のピンチの時に全く助けてくれなかった時、家族でさえショックを受けてたのに本人はきっとものすごいストレスになっていただろう。
そのことを思うと、やっぱり血の繋がっている私は父を不憫に思う。
父が傷ついたことに家族は何も言えなかったけれど、私だけは泣いた。
多分みんなこっそり泣いたのじゃないかと思うけど。
それからは、厳しい父を更に気遣うようになる。
私たち子供は、結婚が遅かった。
私は案の定、反対されたので結婚しなかったけれど、もしかしたら何回かちゃんと話をすれば許してくれたのかもしれないと今は思う。
孫が生まれて、私たちに向ける眼が孫に向かい、
とても平和な時期がきた。
どこの家庭にもみるような、平和な父親、おじいちゃん。
ありがたい。
父親はまるくなった。
他のお宅よりは厳しいおじいちゃんだとは思うけど、身内びいきが好きな人なので孫のことはとても可愛がっている。
今は、孫も大きくなって、母と二人、元の暮らしになった。
また、母は手下のように扱われ、あれこれと母を怒る。
そして最終的には、自分たちの子供が一番ということで、大切にされているのは私たち子供。
男の子よりも、女の私は特に大切にされてる感がある。
それは、父親も母親も、そう。
顔を見たいのは、どうやら、私、のようだ。
結婚もせずに、子供もいない、生活するだけで精一杯の私なので、できるだけそれを匂わさないように装うけれど、両親は多分察しているんだろう。
親ってすごいなと思う。
父の日だからって、実は何もしていない。
父にとっては、多分父の日というイベントはあまり興味はなく、ただ子供たちが帰ってくる日がイベントなのだ。
コロナを気にせずに、思い切って帰ることを計画することにした。